自虐と良心(2)

2014.10.15

戦後の日本人は、敗戦ですっかり自信を喪失し、結果として自虐を良心だと勘違いしてしまった。
私を含めた団塊の世代の多くは、そのような教育の中で育った。
そんな彼等に熱烈に支持されたのが朝日新聞である。
ゆえに、朝日新聞が自虐の戦後史に果たした役割はとても大きかったと思う。
私も、10代後半から20代まで、朝日新聞は「良心の新聞」と信じていた。
そうして、1970年台のあの大学紛争へとつながっていくのである。

大学紛争の発端は、早稲田大学の学生会館を学生の管理に任せろと学生側が要求したことと記憶している。
当然、大学側は拒否し、それに怒った学生達が実力行使に出て、全学ストライキへと発展した。
その火の手は、みるみる他大学に広がり、全国の大学の8割が学生たちの手で封鎖される事態となった。

しかし、先鋭化した運動は市民の支持を得られず、やがて機動隊の介入を招き、次々に鎮圧されていった。
若かった私もデモに参加したことがあったが、警棒を振りかざし襲いかかる機動隊の恐怖に逃げるしかなかった。
国家権力が牙を剥く時の怖さは尋常ではない。
振り下ろされる警棒の一撃でヘルメットを割られ、頭から血を流し倒れていく学生の姿は、今でも目に焼き付いている。
しかし、激突する警察と学生達の裏で、双方を操っていた存在がいた。
それが国家権力とマスコミである。

私は、暴力が交差する現場にいて、その時は、ただただ悲しさと虚しさでいっぱいだった。
機動隊の隊員たちも自分たち学生と同じ年代である。
どうして、若者同士が、こうして血を流し合わなければならないのか。
本当の仕掛け人は誰なのかと痛切に思った。

今ではよく分かる。
自虐を良心であるかのごとく教えた教師とマスコミである。
「とにかく日本は悪い国なのだ。それを自覚して反省しなければいけない」
学校でこう教えられ、新聞でそれを目にする。
そして、フランス革命などの暴力革命を賛美する。
世界は、社会主義、共産主義のもとでひとつにならねばならないと激を受ける。
そして、「日本もかくあれ」となる。

こうして、いつしか、正義のための暴力は許されると思い込んでいくのである。
これって、宗教勢力の過激派がよく使う「聖戦」なのである。
国家権力に暴力で立ち向かうことは「尊い行為」となってしまうのである。
この絶対的矛盾の元を作ったのが、「自虐=良心」のプロパガンダだったのである。