韓国の歴史を学ぶ(その4)

2017.12.01

朝鮮王朝の内部争いで、あろうことか、王妃の閔妃は、清國の袁世凱に救援要請を出しました。
この要請に乗じて、袁世凱は大軍を率いて朝鮮に出兵しました。
朝鮮独立を支援してきた日本ですが、まだ弱小国であり、清の大軍を前に為す術もありませんでした。
それどころか、日本の公使館が襲撃を受け、軍事顧問や外交官が殺されましたが、何も手が打てなかったのです。
 
こうして朝鮮は、王の外威である閔氏一族が清國の後ろ盾で実権を握り、再び旧来の王朝政治に戻ってしまいました。
しかし、朝鮮にも自国の独立を思う者がおり、2年後にクーデターを起こし閔氏一族を追放したのです。
そして、独立派は朝鮮国王の呼称を皇帝と改め、朝鮮の独立を宣言したのです。
ところが、またも閔氏は清國に救援要請をしたのです。
独立派は、出動した清軍により簡単に駆逐されてしまい、この朝鮮の独立はわずか3日で終わってしまったのです。
この時も、また多くの日本人居留民が犠牲になりました。
この動乱時、清國軍や閔氏一族による独立派や日本人居留民に対する残虐行為は目に余るものがあり、日本には、朝鮮や清に愛想を尽かす人が多くなり始めたのです。
このころ発表された福沢諭吉の「脱亜論」を読むと、こうした当時の日本の空気がよく分かります。
一言でいえば、「もう朝鮮や清國に関わるのはよそう」という空気です。
なにやら、現代も似たような雰囲気になってきていますね。
 
日本としては、朝鮮が名実ともに独立してくれることを望んでいたのであり、手のかかる朝鮮半島からは本気で手を退きたかったのです。
しかし、その後に清が居座るようになっては危ないと考え、外交交渉の末、清國と天津条約を結んだのです。
この条約で、両国は同条件で朝鮮半島から撤兵することとなり、兵を退きました。
実は、このとき日本は「外国からの侵略などの特殊なケースを除き」、両国は朝鮮半島から永久に撤兵すべきと主張したのですが、清國は「朝鮮は属国である」として、朝鮮で内乱が起きた時には宗主国として出兵するのは当然と一歩も譲らなかったのです。
結局、最終的には「両国は、今後、朝鮮半島に派兵する場合は相互通知すること」となったのです。
 
こうして、日清両国が兵を退き、朝鮮が自立することで半島に平和が来るはずでした。
ところが、閔氏一族は、新たな後ろ盾を求めて今度はロシアに接近し始めたのです。
当然、宗主国の清が黙っているはずもなく、袁世凱は自分が庇護していた閔氏の対抗馬である大院君を担ぎ出して朝鮮に乗り込み、朝鮮政府を指導する立場に就任したのです。
それでも、閔氏一族の朝鮮国王はロシアへの接近を止めなかったのです。
しかし、こうしたことを宗主国の清が許すはずもなく、清國との関係は悪化の一途をたどり経済は疲弊しました。
それでも王侯貴族たちは民衆の生活を顧みず贅沢な暮らしを続けたため、民衆の間には不満が膨れ上がっていきました。
 
そして、ついに1884年、朝鮮国内で大規模な反乱が起きたのです。
しかし、事態を収拾する能力がなかった朝鮮政府は、またも清に派兵を要請したのです。
日本は、過去の動乱で自国民が虐殺された経験から、この派兵を座視することができませんでした。
そして、天津条約に基づき居留民保護のために派兵したのです。
両国の派兵で反乱は収まったのですが、その後も日清両国は一歩も引かず、とうとう戦争になったのです。それが日清戦争です。
 
世界各国は、大国である清國の前に弱小国の日本は負けると思っていましたが、結果は逆になりました。
それはそうです。
日本は朝鮮の独立が日本の安全につながると思い、必死に戦ったのに対して、清國は現状維持、つまり植民地として朝鮮を支配することが目的だったのですから、必死さがありません。
この時の明治天皇による「宣戦ノ詔勅」から「下関講和条約」に至る記録を読めば、その時の日本の姿勢は歴然です。
日本は、終始一貫して朝鮮の独立を謳い、そのために戦ったのです。
 
下関条約として知られている日清講和条約の第一条には、以下のように書かれています。
「清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」
 
簡約すると、「清國は朝鮮を完全無欠な自主独立の国と認め、将来に渡って貢物などを求めないこと」という意味です。
この戦争の目的は「朝鮮の独立だ」ということを、講和条約の第一条に明記しているのです。
条約の第一条とは、全体の主旨を明記する最も重要な条項です。
そこに、朝鮮独立のことを掲げているのですから、この戦争の目的がそこにあったことは明白です。
 
もちろん、日本は純粋に朝鮮の独立のためのみを目的として戦ったのではなく、日本の国益のために戦ったのですが、しかし、他国の独立のために多大な犠牲を払ってまで戦ったことは事実です。
だからこそ、当時の朝鮮の民衆も喜び、今もソウルに立つ「独立門」を建てて祝ったのです。
 
次号では、せっかく日本の支援で独立した朝鮮がロシアに乗り換えたことから日露戦争につながる歴史をお話しましょう。