純粋な軍事の話(8)

2019.07.01

映画版「空母いぶき」は、映画ゆえの制約か、その出来栄えについて辛口の映画評が多いようです。
原作では「中国が尖閣諸島を武力で奪う」という設定が明快に示されていますが、映画では「できて間もない独裁国家が、西太平洋にある日本の架空の島を奪う」という設定になっています。
あまりにも架空すぎる設定で、原作では濃厚だったリアル感が、一気に無くなってしまっています。
 
そもそも、漫画や小説、映画、TVの世界は、そのほとんどが架空の話なのですが、こうした近未来ものは、リアル感をどう醸し出すかが生命線となります。
その意味で、原作は成功したが、映画は失敗したといえそうです。
映画の製作者は、どのくらい原作を読み込んだのか疑問に思うところです。
 
政府が護衛艦の“かが”と“いずも”を空母化すると発表して以来、「空母」という言葉が戦争に直結するイメージを醸し出すのか、賛否両論が溢れています。
本章は、純粋に軍事を論ずる場なので、そうした賛否抜きで論評したいと思います。
 
まず、空母と言っても垂直離着陸型の戦闘機を10数機搭載できるだけですから、軍事的には大した戦力とは言えません。
重武装の戦闘機を100機以上搭載できる米国の原子力空母と比較するまでもない戦力です。
つまり、日本の場合は、軍事より政治的影響力に力点を置いた改修ということです。
 
それでも、戦闘機を発進できる移動基地を持つことは、軍事戦略の幅を大きく広げることになります。
まして、対決するのは米国空母ではなく中国の空母です。
将来は原子力空母も備えると言われている中国ですが、そのハードルは一般に考えられているより遥かに高いです。
経済戦争の影響もあり、巷で6隻体制を目指すと言われている建造計画も実現は難しいと見ています。
 
また、偶発的な小競り合いは別にして、日本が巻き込まれる大規模な戦闘が起きる可能性は限りなくゼロに近いわけです。
つまり、“かが”などの空母化は、外交の道具としての軍事力強化という意味合いが強いものです。
 
しかし、矛盾するようですが、これらの空母化が実戦で威力を発揮するという姿を内外に示す必要もあります。
その日に向かって、日本が着々と歩を進めていることは事実です。
実際に“かが”にF-35Bが搭載され、訓練で発艦する姿が配信されることは、内外に相当のインパクトを与えることとなるでしょう。
なにしろ、本格的な空母群による熾烈な戦闘経験を有しているのは、日本と米国だけなのです。
他の国は、中露を含めて未経験の世界なのです。
75年という年月は、忘れるには短すぎます。