民主主義に軍事力は不要?(2)

2019.12.02

第二次世界大戦は、数千万人という犠牲を出した末にドイツ、日本の降伏をもって終わった。
数千万人というが、その実数は定かではなく、5000万~8000万人と諸説ある。
その悲惨な結果を前にして、英国の首相であったチャーチルの語った後悔の言葉がある。
「我々は、ナチス・ドイツが誕生した時、戦争を仕掛けて潰すべきであった」
 
本当に、戦前にドイツに対する軍事攻撃を実施していたら、軍事的劣勢にあったナチス・ドイツは崩壊し、第二次世界大戦は起きなかったかもしれない。
しかし、英国は、非難一色になったであろう。
その時点では、誰も、この後に起きた世界大戦の悲惨さを知らないからである。
 
当時から、英国は民主主義国家であった。
かつ、世界有数の軍事国家でもあった。
ゆえに、チャーチルは「民主主義に軍事力は不要」と思っていたわけではなかった。
むしろ、民主主義を守るため「軍事力は必要不可欠」と思っていた。
 
だから、第一次大戦の敗戦から復活してきたドイツを危険視し、先制攻撃を考えたのであろう。
しかし、第一次世界大戦が、それまでの戦争の概念を大きく変えてしまっていた。
それまでの戦争は、海上や野原が戦場であり、犠牲は兵員に限られていた。
一般市民は、戦場に駆り出された家族を心配したり、巻き添えを食うことを恐れてはいたが、戦争は、どこか遠い世界の出来事であった。
 
それが、第一次世界大戦では、飛行機や長距離砲、戦車などの出現により市街地が戦場となり、大量の市民の犠牲を出した。
その悔悟から、欧州市民は「厭戦」という戦争そのものを忌み嫌う気分に支配されていった。
その結果、「紛争は対話で解決すべき」という、至極まっとうな意見が大勢を占めることとなった。
 
欧州各国は、ヒットラー率いるナチス・ドイツの危険性を十分に分かっていたが、市民の間に浸透した「厭戦」気分に逆らうことは出来なかった。
それが民主主義国家の基本である以上、チャーチルも逆らえず、結果としてナチス・ドイツの勃興を許した。
 
チャーチルの後悔から我々が学ぶべきことは何なのか?
「民主主義にも軍事力は必要」と思うだけではダメなのであろう。
だが、軍事力の行使を、防衛に限定せず、先制攻撃にも使うということも、また難しい問題である。
米国が抱える北朝鮮問題の核心も、まさにそこにある。
次回、そこをもう少し掘り下げて考えてみたい。