新しい日本型資本主義の中身(6)

2022.04.18

岸田首相の「新しい日本型資本主義」は、「成長なくして分配なし」よりも「分配なくして成長なし」が強い理論です。
首相自身、新自由主義経済が「富める者と富まざる者との分断」を生みだしたと明言しています。
それは、その通りです。
新自由主義は「経済は市場原理に委ねるべき」という思想ですから、必然的に大きな格差を生み出していきます。
個人の能力差がもろに反映する経済になるのですから格差の拡大は当然です。
実際、統計データによると、日本の貧困率は15%を超え、20%に達するのも時間の問題となっています。
一人世帯に限ると貧困率は50%を超え、女性の場合は56%以上となっています。
私には正直ピンとこない数字ですが、一人世帯や母子世帯のかなりの割合の生活が大変なことは理解できます。
 
経済用語から言うと、日本の場合の貧困率は「相対的貧困」で計算した数字です。
相対的貧困とは、所得が中央値以下の世帯の割合を表す数字なので、数学的にいえば、50%が「普通」となる計算方法です。
そう聞くと、一人世帯の貧困率50%は「普通では?」と言いたくなります。
国全体の15%は、逆に考えると85%の国民は貧困を感じていないという数字になります。
単純に「悪い数字なのかな?」と頭を捻ってしまいそうです。
 
それに対し、開発途上国の貧困を表す「絶対的貧困」は、一人あたりの収入が1日1.90ドル(220円ぐらい)以下の水準を表す絶対値なので、客観的な数字といえます。
この値は「生存が脅かされる生活水準」ということですから、深刻な貧困ということも頷けます。
 
相対的貧困は「見えざる貧困」と言われるように、「周囲は豊かで幸せそうなのに、どうして自分だけが貧しいのか」と精神的に追い詰められている状況を指す指標と言われています。
昭和30年代の私の子供時代、6人家族だった一家の年収は30万円程度だったと思います。
一人あたりに換算すると、1日140円ぐらいですから、現在の絶対的貧困水準以下です。
ゆえに、長男だった私は小学4年から家を手伝い、働いていました。
でも、周囲も貧しい家庭が多かったせいか、「自分の家だけが貧乏」という思いはなかった気がします。
両親は「絶対的貧困」の中で必死だったと思いますが、子供の自分は「相対的貧困」で「これが普通」と感じていたのだと思います。
 
話が横道に逸れたので、戻します。
岸田首相は、自民党の中では左派の「宏池会」の出身ですから、分配優先の考えになるのは頷けます。
安倍氏を意識して、口では「アベノミクスを継承しつつ・・」と言っていますが、そんな気はないでしょう。
ですが、「新しい日本型資本主義」の中身が見えない限り、アベノミクス以下と言わざるを得ません。
参院選までには、政策としての骨格をはっきりと見せるべきです。
それまでは、批判も共感もしません。
その時が来たら続編を書くということで、いったん、本シリーズは終わります。