企業経営者は質素であるべき?(2)

2013.03.31

前回は、以下の2人の論客の主張だけを掲げました。
(1) ポール・クルーグマン
「労働者に適切な賃金を払い、経営者に応分な負担をさせても経済成長は達成できる」

(2)マーガレット・サッチャー
「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人が金持ちになることはない」

今回は、この対比を一緒に考えていきましょう。

2人の主張は真っ向から対立しているように見えます。
経営者である私は、サッチャーの言葉を聞いた時は「そのとおり」と思い、クルーグマンの主張には不快感を憶えました。
しかし、それは感情面での話です。
論理思考での判断を重視している私としては、自分の感情では判断しません。
それで、まず、2人の主張に対する自分の感情面での反応の違いを分析してみました。
そのため、サラリーマン時代の自分に、時間をさかのぼって問うてみました。
それで分かりました。
サラリーマン時代の自分の反応も今と同じだったのです。
若き日の私は、強烈な上昇志向の持ち主でした。
ただし、それは地位や待遇ではなく、重要なプロジェクトを任されることへの渇望でした。
俗な言葉でいえば、それが「カッコイイ」と思ったからでした。
そのための「自助努力」こそが最も尊い行為だと思っていたのです。
労働者や貧乏人がのし上がるだって「自助努力」だということです。

これで、私の感情面の反応がお分かりかと思います。
今の立場が経営者だからではなく、若い頃からの思考だったのです。

私の論理思考による結論をお話ししましょう。
クルーグマンの主張もサッチャーの主張も正解です。そして共に正義です。
違って見えるのは、「どこから見るか」の視線の違いなのです。
共通しているのは、「経済を発展させ、豊かな社会を創るという思い」です。
さて、読者のみなさんは、どのように感じ、そして、どのようにお考えだったでしょうか。

主題の「企業経営者は質素であるべき?」についても、同様の結論を得ました。
私は、会社のため、社会のために害をなす「質素」と益をもたらす「質素」とがあると思います。
たとえば自動車です。経営トップとしての安全、心身を守るため、
そして、明日への活力を生むのであれば、高級車に乗ることを「ぜいたく」とは思いません。
しかし、他人に見栄を張るため、あるいは単なる自己満足であるなら、少しは「質素」にすべきと言うかもしれません。
今回は、こんな話で終わってしまいましたが、次回はもっと真面目にいきます。