今後の建設需要(15)

2021.04.19


少し前、NHKの女性アナウンサーの退職がニュースになりました。
本人が、他局への移籍ではなく、「今後は“まちづくり”などに関わっていきたい」と発言して、話題になっていました。
正直、「なんと軽い発言」と思いましたが、同時に「若い女性が考える“まちづくり”って何だろう」とも考えました。
 
数年前、住宅地開発のプロジェクトで、全国の開発住宅地を200箇所ぐらいサーベランスして回りました。
その中で、及第点を付けた“まち”の割合は5%ぐらいしかありませんでした。
サーベランスした住宅地が開発された時期は、1970年代から最近まで様々でした。
当時の販売価格と近年の売買価格も調べました。
当然、どこも年とともに下落していましたが、“まち”によって顕著な差が見られました。
中には、周囲の住宅地と1000万以上の高値で売買が成立している“まち”もありました。
改めて“まちづくり”の一番の難しさが「価値の持続性」にあることを痛感しました。
そして気が付きました。
「良い家」が売れるのではなく、「良い“まち”にある家」が売れているのだということにです。
億円単位の家でも、その“まち”の魅力が下落し、大きく値下がりしている例もありました。
 
しかし、持続性は長い年月を経た後でないと評価できない難しい指標です。
新たに購入するユーザーにとって、30年後の評価など無理に決まっています。
そうした市場の変化を感じたのか、最近の流行り言葉となっているSDGs(持続可能な開発目標)ですが、肝心の一般市民から見たら、まったく理解不能な言葉です。
どうして、専門家は、こうした空虚な言葉ばかりが好きなのでしょうか。
ちなみに、建設関係ではない知人たちに聞いてみましたが、知っている人は皆無でした。
私自身、この言葉を“まちづくり”に当てはめて考えてみましたが、何もイメージが湧いてきません。
それは、この言葉が業界内の言葉で、市場の言葉ではないからです。
 
“まちづくり”の中心にあるのは、人々の暮らしであり、人生です。
それも、住む人だけでなく、訪れる人も含めた人間社会のあり方そのものです。
SDGsという言葉は、本来脇役であるはずのデベロッパーや建設会社、行政寄りの言葉で無味乾燥過ぎるのです。
もっと人間味ある言葉が欲しいのです。
 
というより、こんな言葉遊びではなく、本質の討議をもっと重ねていくべきではないでしょうか。
次回は、そうした話の一端をお話ししましょう。