韓国の歴史を学ぶ(その8)

2018.05.02


韓国の再独立は、誰もが知るように、日本の敗戦という“他力”によって成されたものです。
だが、それは韓国民にとっては感情的に受け入れがたい事実なのです。
それゆえ、教科書では、日韓併合下の1919年3月1日の宗教指導者たちの独立宣言を起因として起きた三・一運動を「独立の日」として教えているのです。
しかし、その運動が鎮圧された後は、目立った独立運動はなく26年後に終戦の日を迎えています。
ゆえに、三・一運動を「独立の日」とするには無理があるのです。
このように棚ぼた式の独立であったため、韓国には有力な政治指導者が育っていなくて、米国は、仕方なく自国に亡命していた李承晩を大統領に持ってきたのです。
一方で、平壌に侵攻していたソ連は、自国に亡命していた金日成を北朝鮮の指導者として送り込みました。
半島の戦後史が米ソの傀儡政権によって始まったことが、その後の不幸に繋がっていくのです。
当時、北朝鮮には日本が残した鉱山や工場が多くあったことで、南の韓国を圧倒する経済力と軍事力を有していました。
独裁者となった金日成は、「今なら半島を武力で制圧できる」と考え、1950年6月25日、中華人民共和国とソ連の同意と支援を受け、暫定国境線となっていた38度線を越え韓国に侵略を開始したのです。
この戦争の経緯は、よくご存知の通り、いったんは釜山まで追い詰められた国連軍(実体は米韓軍)ですが、仁川(インチョン)逆上陸という奇策で形勢を逆転させ、黒竜江付近まで北朝鮮軍を押し返しました。
しかし、そこで中国軍が大軍を送って本格参戦し、38度線まで押し返したところで休戦となったわけです。
この朝鮮戦争の戦死者ですが、国連軍側はかなり正確に分かっていて、米軍4.5万人、韓国軍6.5万人、ほか国連軍(豪州、英仏カナダなど)0.3万人 計11.3万人です。
一方の北朝鮮側は、推定値ですが、北朝鮮軍40万人、中国軍50万人、計90万人以上と言われています。
それより悲惨なのは市民の犠牲者数です。
これも推定値ですが、北朝鮮市民250万人、韓国市民133万人 計383万人とも言われています。
太平洋戦争での日本の犠牲者数を上回る数です。
特に、ソウル市は、韓国→北朝鮮→韓国と目まぐるしく統治が変わったことで、市民は、最初は北朝鮮軍によって、次には韓国軍によって、大量に虐殺されました。
双方から虐殺を受けたわけで、悲惨という言葉しかありません。
(韓国映画「ブラザーフッド」では、このあたりの悲劇を克明に描いています)
それも、北朝鮮軍は金日成主席の命令で、そして韓国軍は李承晩大統領の命令で、大量の市民虐殺が行われたのです。
理由は「敵側のスパイや協力容疑」という根拠のないものです。
当時の韓国軍の実態はひどいもので、急ごしらえで徴兵したため、軍事訓練も受けずに武器も不足というように、まともな軍隊の体を為していなかったと言われています。
北朝鮮軍や中国軍も似たような状態で、市民の大量虐殺を生む大きな要因となったのです。
しかも、将軍たちは、軍の食料物資を横流し、自らの懐に入れたり、李承晩大統領の政治資金に使われたりもしました。
そのため、9万人の兵士が餓死したとも言われています。
そうした悲劇の原因となったのは「日本による併合(韓国は侵略と主張)」だと、韓国では教えています。
日本でも、そう主張する人たちがかなりいますが、それは違います。
そのことを次号(最終号)では解説したいと思います。