開戦直前の日本政治(7)

2022.05.02

民主国家の政権交代のためには、政権担当能力を持つ野党の存在が欠かせません。
しかし、野党が育たない日本では、自民党内の派閥対立が与党vs野党となり、擬似的な政権交代が行われてきました。
ところが、それも機能不全を起こし、密室的な政権禅譲が公然と行われるようになっています。
乱暴な意見ですが、現在の日本政治は戦争中および敗戦後より劣化していると言えます。
 
少々びっくりする話ですが、開戦翌年の1942年の日本で総選挙が行われているのです。
たしかに「翼賛選挙」と言われるような不十分な選挙でした。
それでも、この選挙で当選した議員たちの存在が、戦後、議会政治がすぐに復活した原動力になったのです。
その事実は、この選挙で選ばれた議員たち全てが体制べったりではなく、政治家としての矜持を持っていたということを現しています。
この例のように、戦前の政治は、戦後言われるほどひどい政治ではありませんでした。
もちろん、良い政治であったというわけではありませんが・・
 
我々は、当時の日本は特高警察が国民を徹底的に弾圧した国であったと教えられてきました。
ドラマや映画で繰り返し見せられた理不尽な逮捕、拷問などのシーンがそうしたイメージを倍加させてきました。
その全てがウソではありませんが、特高警察の取締りは、言われているほど徹底していなかったというのが真実に近いようです。
母から聞いた話ですが、祖母は「この戦争は負けるで! こんなに爆弾落とされて勝つわけなかろう」と話していたそうです。
まだ10代だった母が「そんなこと言ってると特高に捕まるよ」と言っても、祖母は笑って受け流していたそうです。
もちろん、特高警察が来ることはなかったということです。
 
このような話に民主主義を発展させていくヒントがあります。
つまり、異論や反論を言える社会が民主主義の土台になるということです。
現代流に言うと「多様性や多元性を重視する社会にする」ということになります。
戦前・戦中の日本に、その土台があったことで、戦後の復興が可能になったといえるのです。
 
ところが、現代日本は、政治的には民主主義になったわけですが、民主主義の意義を理解し育む国になっているかを思うと、疑問を感じるのです。
政党や企業、学校などのひとつひとつの集団の内部を見ると、異なった意見を言うことがどんどん難しくなっているのではないかという危惧を感じます。
企業内では、上に睨まれる、あるいは仲間外れを恐れて同調意見しか言わない空気が色濃くなっているように思うのです。
たしかに、こうした風潮に警鐘を鳴らしている人はいます。
しかし、一人ひとりが、身近から異論や多様性を大事にすることを実行できずに、同調圧力やポピュリズムに対し高みから見ているかのような批判をしても意味がありません。
 
コロナウィルスや自然災害の犠牲者、ウクライナの惨状といった痛ましい事例や近年の歴史から学ぶべきことは山ほどあります。
日本を全体主義の危険にさらさないようにする方策は、この身近な所属集団内で異論を唱えやすくしていくことであり、
そこから多様性・多元性のある社会に少しでも変えて行くことであろうと思うのです。
本コラムの連載は、上記の言葉で終わりとします。