抑止力という名の軍事力(8)

2020.12.30


防衛省が長射程のミサイル開発を明言したことで「専守防衛を逸脱する」との批判が起きています。
今回は、開発の是非ではなく、改めて戦争の抑止について考えてみました。
 
「戦争をできるようにするか、できないようにするか」は、永遠に平行線となる考えです。
「憲法を守れ」と主張する人々は、「戦争をできないようにしておけば戦争は起きない」と考えているわけです。
それに対し、「憲法改正」を主張する人々は、「戦争をできるようにしておけば戦争をせずにすむ」と考えているわけです。
どちらも「戦争を避ける」ことを目的とした考えなのですが、軍備については真反対の主張です。
そこで、この2つの主張の源流を、2500年前の古代中国の思想体系に求めてみました。
 
「軍備を持たない」思想の源流は老師などが唱えた道教にあります。
道教の代表的な論客である莊子の言葉に「機械あれば機事あり、機事あれば機心を生ず」という言葉があります。
現代語に直すと「機械を使っているうちに人間は機械に依存し、やがて機械が好む考え方をするようになる」となります。
これを軍事に当てはめてみると、「軍備を持つと、その軍備に依存し、やがて使いたくなり戦争になる」となります。
「なるほど」と思える思想ですね。
 
一方の「軍備を持つ」思想は、人間社会が複雑になるに従い、自然発生的に生まれた考えです。
この考えを整理し思想体系化したのが孫子です。
簡単に言うと、「相手が攻めてこないだろう、と考えるのではなく、攻めてこられないように準備をしておこう」という思想です。
同系統の思想である韓非子は、「人の愛(好意)をもって我が為にするを恃(たの)むものは危うし」と言い切り、「相手の好意を当てにするのは愚かだ」と主張しています。
こちらも「なるほど」と思える思想です。
 
本稿の「抑止力」というテーマで考えれば、国家は後者を取るべしとなりますが、「そう単純に解釈するものではない」と、一方で孫子は教えています。
具体的にはどういうことなのでしょうか。
例として、近年、尖閣諸島への侵入を加速させている中国の戦略を分析してみましょう。
 
まず、中国海警局の船が何のために尖閣海域に来るのかを考える必要があります。
「尖閣の奪取を狙っている」とする論評が多いのですが、違う見方もあります。
「本当の狙いは台湾侵攻で、その侵攻の背後を確保するため」という意見もあり、「中国の国内向けのプロパガンダだ」という意見や、逆に「本当の狙いは沖縄だ」という極端な意見もあります。
私は、こうした意見はどれもあまり意味が無いと思っています。
なぜなら、当の中国が正解など持っていないと思うからです。
 
報道や解説記事を読む限りの情報しかなく断定は出来ませんが、海上保安庁の巡視船の報告から垣間見えてくるものがあります。
それは、中国海警船の動きに「尖閣を奪取するぞ」という本気度が見えないことです。
数や装備で圧倒する中国側が、それを前面に押し出してくる様子が乏しいのです。
また、海上保安庁の巡視船側にも、中国側の雰囲気を察してか、「中国は本気だ」とする最高度の危機感が感じられないのです。
つまりお互い本気ではなく、「やっているよ」というアピールが主になっているように思うのです。
もちろん、巡視船がサボっているとか緊張感に欠けているなどと言っているわけではありません。
最高度の緊張感を持続して対処している姿には頭が下がります。
ですが、一触即発の事態とは思えないのです。
マスコミや一部の評論家は、尖閣海域への侵入回数などで危機感を煽りますが、その裏にある両国の意図を明快に解析する記事にはめったにお目にかかりません。
 
最も必要な抑止力とは「情報を集め、解析する力」です。
そして、その情報を駆使する外交力です。
孫子が教えている抑止力の考えも、そこに主眼があります。
ただし、武力衝突が明日起きる可能性は常にあります。
その事態に備える軍事力を持たない外交力は無力といえます。
同盟国も、戦う意思も軍備もない国を助けようとはしないでしょう。
 
巡視船の増強や装備の近代化、後方で備える自衛隊の増強などの備えで、中国に「攻めるのは難しいな」と思わせることが最大の抑止力です。
長射程のミサイル開発という「一石」が中国の姿勢にどう影響するか、賛否の前に、池に広がる波紋がどう広がるかを見ていくことが大事です。