曲がり角の先の経済を考えてみよう(7):日本復活のカギは半導体(1)

2023.03.16

現代で、半導体という言葉を知らない方はいないでしょう。
でも、私が小さい頃は、知っている人が”いない”言葉でした。
そこで、昔話から始めることにします。
若い方には「?」でしょうが、今回はお付き合いをお願いします。
 
新潟の農村で暮らしていた子供時代、電気製品は電球とラジオぐらいしかありませんでした。
そのラジオの箱の中には数本の「真空管」があって、そこで受信した電波を音声に変えていることを本で知りました。
小学校へ上がる頃と記憶していますが、こっそりラジオの裏蓋を外して通電している状態の真空管を見ました。
10cmに満たない長さの“先が尖った”形の透明な管の中で電極が青く光っていました。
「あそこで電波を音に変えているんだ」と気持ちが高鳴ったことが、昨日のことのように思い出されます。
 
東京に越してきた頃には、真空管に変わるトランジスタ・ラジオが登場していましたが、出力が低く、イヤホンで聞くレベルのラジオでした。
それでも、小学生だった私の手が届く価格ではありませんでした。
そこで、科学雑誌に載っていた回路図を写し取り、自分でトランジスタ・ラジオを組み立てることを思い立ちました。
秋葉原に小さな電気材料屋がひしめいていた時代です。
近所の酒屋の配達で貯めたお金を握りしめ訪れた秋葉原は、子供の私にとっては宝島でした。
回路図を見ながら、あちこちの店を回り、部品やコードなどを買い集めました。
メインのトランジスタは、親切なお店のご主人が、回路図をチェックして選んでくれました。
値段も半額ぐらいにまけてくれた“おじさん”の顔が神様に見えました。
 
板で作ったボードの上に部品を配置し、ハンダで配線を繋いでいきました。
ご飯も食べずに深夜まで熱中しましたが、音が出るまで3日ぐらいかかりました。
板の上に部品を貼り付けただけの手製のトランジスタ・ラジオから音が出た時は「やった!」でした。
 
その後、驚異的なトランジスタ「トンネルダイオード」が生まれました。
世界が驚いた、そのダイオードは「エサキダイオード」と名付けられました。
そうです、当時ソニーの技術者だった若き日の江崎玲於奈博士が発明したダイオードです。
 
当時、世界中の科学者は、高性能のトランジスタの開発に“しのぎ”を削っていました。
その頃のトランジスタの性能は低く、かつ製造の歩止まりが極端に低いままでした。
シリコン基盤に載せる導電体には「リン」が使われていましたが、その純度を上げても思ったように導電率が上がらなかったのです。
それを、江崎博士は逆の発想で、リンの純度を下げていったのです。
当然、性能は悪化する一方でした。
ところが、諦めずに挑み続けた結果、ある純度まで下げたところで、突然導電率が跳ね上がったのです。
エサキダイオードが完成した瞬間でした。
この発見は「トンネル効果」と名付けられ、その後1973年に江崎博士はノーベル賞を受賞しました。
このダイオードは、導電体とも非導電体とも言えないということで「半導体」と名付けられました。
半導体は、日本人江崎玲於奈博士の発明なのです。
 
昔話が長くなってしまいましたが、次回は、世界的な大競争時代となっている現在の半導体開発の実態と、日本の復活について話を続けます。