企業経営者は質素であるべき?(4)

2013.05.31

18世紀後半の産業革命後、富の偏(かた)よりが激しくなり、社会が不安定になりました。
一握りの超富裕層が生まれる一方、底辺に沈む人たちがどんどん増え、社会秩序の破壊、犯罪の多発といった「社会情勢の変化」が大きくなったからです。
この時、「共産主義」という「経済技術論」を掲げて、カール・マルクスが登場します。
そう、共産主義とは、経済技術なのです。
この対極にあるのは、「資本主義」です。
資本主義とは、資本と生産(労働)とを分離するという経済技術です。
この経済技術の普及で、一部の資本家(金持ち)と多くの労働者(貧乏人)という分化(格差)が進んだわけです。
それを見たマルクスは、資本と生産(労働)とを一体化させるという経済技術を発明したわけです。
労働者が資本も生産も共有するという「共産システム=共産主義」です。

当然、労働者(貧乏人)は大歓迎しましたが、資本家(金持ち)は毛嫌いしました。
この結果、両者は激しく対立しました。
数で勝る労働者たちは、ストライキ、工場打ち壊しなどの実力衝突に出て紛争が頻発しました。
でも結果は、資本家の勝利、労働者の敗北に終わりました。
どうして、数で勝る労働者側が負けたのでしょうか。

それは、「共産主義」の理想が矛盾に満ちていたからです。
全ての労働者が公平に分け前に預かるためには、全ての労働者が個人の欲を捨てなければなりません。
「あいつ、オレより働いていないのに、オレと同じ収入なんて・・」という心を捨てなければなりません。
しかし、個人の欲を捨てることは「働く意欲も捨てる」ことに繋がります。
少数の「神の心を持つ人々」は、それでも一生懸命働くでしょうが、大多数の人間はそうではありません(私を含めてです)。
「アホらしい」と働かなくなり、全体の生産性が上がらなくなります。
結果、みなが貧乏人になるのです。
現実の共産国家は、みな、こうなりました。

そこへ、共産システムのこの欠陥を是正するため、経済的利害を超えて人々を動かす方法を考え出した人が現れました。
ソヴィエト連邦の創始者、ウラジーミル・レーニンです。
彼は、国民に「個人の欲を捨てても働く意欲を捨てさせない」よう、政治権力の絶対化を進めました。
つまり、政治的な強制圧力で「国民を働かせる」方策を考え出したのです。

まず、国民から政治を選ぶ権利を奪い取りました。
「プロレタリアート共産党による一党独裁」がそれです。
複数政党から国民が政権を選ぶという権利を奪い取り、共産党以外の政権を選べなくしたわけです。
(現代の中国も同様のシステムを踏襲しています)
しかし、この政治的実験は75年で破綻しました。
暴力的な国家権力で個人の欲を捨てさせるという手段でも、共産の矛盾はやはり乗り越えられませんでした。
マーガレット・サッチャーの言う、
「金持ちを貧乏人にしても、貧乏人が金持ちになることはない」
が証明されたようなものです。

金持ちとは、大なり小なり「資本」を持っている人たちのことです。
共産主義思想の金持ちがいたとしたら、それは大いなる偽善です。
北朝鮮や中国の指導者層が「そうだ」と言えますが、彼らは、自らの権力保持のために、人民を押さえつける道具として共産主義を利用しているだけです。
彼らは、プロレタリアート(無産階級=賃金労働者)ではなく、立派な(?)金持ちで、資本家です。

今回は少々脱線気味の話でしたが、経営者の根本の理解のため解説しました。
経営者と経済技術論は、切っても切れない仲だからです。
次号へ続きます。