自由経済と過剰品質(1)

2017.03.16


このところ、24時間営業を止めるファミレスやコンビニが出てきました。
消費者の要求には限度がなく、サービス業は、ついに24時間営業という限界にまで来てしまいました。
たしかに、消費者のニーズに応えるのが商売の王道とはいえ、24時間営業×365日営業は「過剰品質」ではないかとの声が出てきたわけです。
ところで「過剰品質」とは何でしょうか。
どこから「過剰」の線が引かれるのでしょうか。
最近にわかに「ブラック」という言葉が巷に氾濫してきました。
過剰な残業や働き方を強いる企業に対し「ブラック企業」というレッテルを貼り、“さらしもの”にするという社会の懲罰的意味が込められているようです。
つまり、「ブラック」のレッテルが貼られるかどうかが「過剰」の線引きかもしれません。
しかし、これは知名度のある大企業などにしか効かない線引きだと思います。
中小企業の場合は、簡単に「ブラック」とは断定できない諸事情があるからです。
例えば、「ブラック」とされた大企業が残業規制や休暇制度を増やした結果、そこの従業員は楽になるかもしれません。
しかし、その企業は、それにより収益が悪化した補填を、下請け企業や仕入れ材の納入業者に課していく可能性があります。
それを受ける形になる中小企業は、断れば仕事を失うかもしれません。
多くは、泣く泣く受け入れることになります。
そして、その損失を補うために、従業員にサービス残業をお願いすることになる可能性があります。
しかし、小さな企業ほど、従業員は経営の大変さが分かります。
なかなか「イヤだ」とは言えないし、当局に訴え出ることもしないでしょう。
結果、この種の「ブラック」は表に出てこないのです。
考えなくてはならないことがあります。
日本では、カネをもらっている側のほうが、圧倒的に立場が弱い。
そして、この図式の頂点に立っているのが「最終消費者」ということをです。
つまり、「ブラック企業」の上に多くの消費者が「ブラック客」となって君臨しているのです。
しかも、消費者には、自分が「ブラック客」との意識はありません。
そうした“無自覚な”ブラック客がブラック企業を「ブラック」として攻撃するという”おかしな”図式が成り立ってしまっているのです。
なぜ、こんなにも客の立場が上になってしまったのでしょうか。
それは、多くの商品の品質が均質化され、消費者がその品質に満足していることがベースにあります。
その状況で、売る側が価格の値下げや品揃えで差別化するとしても限界があります。
ユニクロが突き当たった限界が、まさに”それ”です。
そうなると、他社に負けない「サービス」という付加価値で勝負することになります。
この「サービス」競争には精神論がつきまとい、日本式の「がんばろう」につながるわけです。
もともと日本人には「商売にはサービスが大事」という精神が根付いています。
かつて松下幸之助氏が言った「お客様は神様です」という言葉が有名ですが、ご本人の真意は別として、「商売の金言」として消費者にも浸透してしまったことは事実です。
そうして、「過剰サービスを当然だと思う意識」を消費者に醸成させてしまい、それに過剰反応していったファミレスやコンビニ業界では24時間営業が当たり前になっていき、多くの産業も引きずられていったわけです。
しかし、自由経済を標榜する日本が、政府命令で「24時間営業」を禁止することはできません(欧州では、それに近い法律がありますが・・)。
労働者を保護する観点では、労働法により、企業に対し労働時間を抑制しています。
その一方で、個人の働く自由に制限はかけられません。
ここに盲点が生まれます。
この問題は、次回に続くとします。