これからの近未来経済(16):山なり多重回帰曲線型経営(その7)

2022.04.18

ここまで6回にわたり述べてきた「山なり多重回帰曲線型経営」は、創業からの成長、そして倒産の崖っぷちという経験の中で、多くの優れた方々から直接の教えを受け、かつ、様々な経営戦略論を学んだ中から自分なりにまとめてきた経営手法です。
 
「山なり」は“山あり谷あり”の経営そのものを指す言葉であり「曲線」につなげた言葉です。
「多重回帰」は、その繰り返しが経営だよという意味の言葉ですが、単に過去をなぞるのではなく、スパイラル(螺旋状)に成長するという意味の言葉です。
これらの言葉をひとつにした造語が「山なり多重回帰曲線型経営」というわけです。
そして、企業経営の本番は「第二成長域」からであり、それまでは予行演習のようなものだよという意味もあります。
 
私の場合は、創業から7年で、この「第二成長域」の入り口に達したのに、本理論を構築する前であったことで、道を誤り、崖下へと転げ落ちてしまいました。
新たな投資に投入すべき資金を、停滞に陥った事業の赤字補てんに使うという最悪の手を打ってしまい、崖から転げ落ちたのです。
しかも、この落下の途中で、いったん岩場の出っ張りに引っかかったのですが、またもや経営方針を誤り、さらに崖底へと転げ落ち重症を負ってしまったのです。
しかし、崖底に落ちても、かろうじて命がつながったことで、この経営理論に行き着き、そこから必死に這い上がってきました。
 
この這い上がり時期は、二度と経験したくない本当に苦しい時間でした。
どん底状態での資金調達のため、闇金業者とまで交渉しました。
「ナニワ金融道」や「闇金のウシジマくん」などの漫画やドラマをご覧になった方もいらっしゃると思いますが、現実はあれ以上の“えげつない”世界です。
以前、このメルマガでも書いた「水商売でのヤクザとのやり取り」の経験があったことで、私はどんなに苦しい時でも、この闇に捕らわれることはありませんでしたが、隣のブースや奥での電話の声などから、いかに多くの人が闇に落ちていくかが実感できました。
 
こうした“どん底”を抜けるのに時間を要したことで、本理論に到達するのに創業から20年もかかり、抜けた時には60歳を超えていました。
さらに「第二成長域」の本質を理解し、実践するまでに5年を要したことで、気がつけば、創業から30年もの年月が経ち、老境の年齢になってしまいました。
でも、感覚的には15年ぐらいの時間しか経っていないので、笑える話ですが、今でも50代のような錯覚の中にいます。
 
そもそもが、大手企業からの支援はすべて断り、3人の設計事務所から始めた企業です。
時間が掛かるのは当然といえます。
大企業からの支援をうまく使う方法はあったと思いますが、不器用な私にはできませんでした。
創業メンバーの2人さえ10年も経たずに去ってしまったことから分かるように、迷走してばかりの道のりでした。
現在は、ようやく未来に繋がる道を歩いている感触がありますが、それも決して平坦路ではありません。
しかも、私に残された時間は、それほど多くはありません。
ですが、それ故に、残りの時間でやるべきことは明確になっています。
この「山なり多重回帰曲線型経営」の確かさも実感していますので、この道を進んでいくだけです。
 
「山なり多重回帰曲線型経営」の連載は今回で終わります。
ですが、「これからの近未来経済」は別の視点で続けますので、引き続きご購読をお願いします。