韓国の歴史を学ぶ(その7)

2018.03.02

1910年8月29日に公布施行された「日韓併合に関する条約」に基づき、大韓帝国は国際法上、日本の保護国となりました。
現代の韓国では「日本が武力で大韓帝国を植民地にした」と信じている人が多いのですが、教育でそう教えているからです。
しかし、日韓併合は、両国による話し合いによる合意であり、国際法に則った手続きで行われたものです。
 
ここで大事なことは、朝鮮が日本の植民地になったわけではなく、併合だったことです。
英国の例に例えてみます。
英国は、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドという独立した4つの国でした。
イングランドが他の3カ国を併合して、グレート・ブリテン(大英帝国)となり、現在に至っています。
たしかに他の3カ国には今でもわだかまりが残っていて、爆弾テロなどの悲劇も起きています。
再独立を問う選挙も行われていて、国家体制が揺らいでいることも事実です。
それでも、植民地との認識はなく、一つの国家だとして世界は認めています。
 
当時の日本は、併合したことで、朝鮮の借金を棒引きにし、さらにインフラ整備や学校建築などに膨大な資金を投じました。
さらに、日本は朝鮮王家を尊重し、日本の皇室の一員として遇しました。貴族たちの多くも元の地位にとどめました。
 
しかも、当時の日本は日清・日露の戦争に勝ったとはいえ、まだまだ弱小国でした。
三国干渉の苦い経験も身に沁みていました。
それゆえ、事前に主要国に対し日韓併合の賛否を打診しているのです。
結果、米英は賛成しました。清國は打診を無視しましたが反対はしませんでした。
ロシアは帝政が崩れようとしていた時代で、それどころではない状態で返答はありませんでした。
当の朝鮮においても、最大の政治団体「一進会」は併合に賛成でした。
もちろん、反対運動もありましたが、それはいつの世も当然に起きることです。
 
こうして、日本は42年の歳月と、2つの戦争で多大な犠牲を出して朝鮮半島との合併を果たし、西欧列強と戦う体制を整えたのです。
しかし、それが日本の悲劇の序章となったわけなので、歴史とは皮肉なものです。
 
私の父は陸軍将校でしたが、1939年から5年ぐらい朝鮮に赴任していました。父が率いていた部隊には、当然、朝鮮出身の兵が多くいましたが、待遇面で内地兵との差はなかったと聞いています。
勿論、併合したほう、されたほうの軋轢があったことは事実ですが、軍としては同等扱いで、将校にも、士官学校時代からの朝鮮出身の同僚が何人もいたと言っていました。
当時は、併合から30年経って日朝の融合も進んでいたと思われます。
 
しかし、そうしたことを一切無視して、今の韓国は、何が何でも日本が無理矢理朝鮮を植民地にしたとし、迫害を受け続けたと主張しているわけです。
そして、その象徴として慰安婦や徴用工を利用しているのです。
 
併合後は、当時の朝鮮の人たちも努力を続け半島の繁栄につくしてきたのです。それなのに、今はそのような人たちを「親日」と断罪しているのです。実に悲しいことだと思います。
 
次回は、朝鮮半島における最大の悲劇、朝鮮戦争の知り得る限りの事実をお送りしたいと思います。