韓国の歴史を学ぶ(その1)

2017.09.01


韓国の首都ソウルに行ったことがある方はご存知でしょうか。
ソウルの西大門に「独立門」という名の、パリの凱旋門を模した記念の門があります。
韓国の人に「この門は何の記念碑か知っていますか?」と聞くと、ほぼすべてのひとが「日本から独立したことを記念する門だ」と言います。
仕事でソウルを訪れた時、一緒にいた韓国の技術者(というより学者)の人たちも同じように答えました。
そこで、私が「それは違います。これは日清戦争で日本が清國に勝利したことで韓国が独立できたことを記念する碑です」と言ったところ、一斉に「ウソだ」と言われました。
それで「ここを見てください」と柱の一部を示しました。
そこには「1897年11月20日」と建立された日付が刻印されていました。
「韓国が日本から独立したのは1945年です。1897年は日清戦争が終結した年です」と言うと、みな、その日付を覗き込んで黙ってしまいました。
しかも、日清戦争後、日本と清國とが結んだ「日清講和条約(通称『下関条約』)」の第一条にはこう書いてあります。
「清國ハ朝鮮國ノ完全無缺ナル獨立自主ノ國タルコトヲ確認ス因テ右獨立自主ヲ損害スヘキ朝鮮國ヨリ清國ニ對スル貢獻典禮等ハ將來全ク之ヲ廢止スヘシ」
つまり、朝鮮国が独立国家であることを清國が認め、以後、清國に対する貢物などを廃止すると明記されているのです。
当時の朝鮮国にとっては、本当に”うれしい”ことであったのです。
だから、それまで建っていた中国に対する属国の証であった「迎恩門」を壊して、独立を祝う「独立門」を建てたのです。
何しろ「迎恩門」とは、歴代の朝鮮国王が中国皇帝の使者を迎えるために建てられた門だったのです。
だから、1897年のその日は、当時の朝鮮にとっては最高の日だったのです。
しかし、韓国は、国民にそうした歴史を教えないのです。
だから、この門を「日本から独立した記念の門」だと大半の国民が信じてしまっているのです。
私にその間違いを指摘された韓国の仕事相手は黙ったままでしたが、夕食を一緒にした時、困惑した表情で「混乱しています」とだけ言いました。
韓国のウソの教育は、韓国民を傷つけていくだけなのです。
韓国は、日本に対して、年がら年中「歴史を直視せよ」と非難しますが、まずは自国の歴史を直視せよと言いたいです。
そんなわけで、次回から少しずつ韓国の歴史を解説してみたいと思います。