経済と政治(4):人間を幸福にしない日本というシステム

2016.06.30

多くの戦争は、経済と政治の整合の乱れから起こります。
難しいテーマで、いつも「的外れ」と批判されることを覚悟で書いています。
どこかで挫折しそうですが、続けられる限り頑張って書きます。
 
オランダの政治学者である“カレル ヴァン・ウォルフレン”氏が書いた「人間を幸福にしない日本というシステム」という本があります。
尊敬する知人から奨められて、この本を読みました。
この本で、著者は日本の官僚主義を批判し、日本の政治には責任中枢が欠如していると指摘しています。
このように、日本人には耳の痛い話が多いのですが、「それは違うよ」と言いたいところもあります。
ただ、この本は1944年に出版された本です。
当時の政治情勢を考えると無理も無いかなとも思います。
 
このように違和感を抱く箇所はありますが、「説明責任」という言葉が広く知られる事になったのは、この本からだということには納得です。
今の日本にとって参考になる要素が多い本といえます。
 
ウォルフレン氏は、最近では安倍首相を批判していますが、納得できる部分と納得出来ない部分とが半々です。
氏は、安倍首相を「ファンタジーな右寄り政治家」と評しています。
そして、日本は、相変わらず官僚と米国によってコントロールされている国と評しています。
 
私は、この指摘は的を得ている思います。
でも、氏が指摘するほど日本国民は愚かだとは思っていません。
多くの日本人は、一生懸命考えているのですが、マスコミが頼りにならず、一方であふれるネット情報に翻弄され、どちらに行ったらよいのか、向かうべき方向を見失っているのです。
私は、この状態を、20年以上前から「暗闇の踊り場」と呼んでいました。
当時、セミナーや講演会で以下のような話をしていました。
 
「日本は戦後50年、階段を駆け上って踊り場に来たのは良いが、そこは真っ暗で、どちらに行ったら良いのか全く分からない。
迂闊(うかつ)に動けば踊り場から転落するからもしれない。
だから、動くに動けない。
誰もが、次の階段はどの方向にあるのか、その方向を示す光を求めている。」
 
それから20年も経つのに、未だに「暗闇の踊り場」で立ち往生しているのが今の日本なのです。
私は、「経済と政治」というテーマから考え、憲法を変えなければ次の階段は見つからないことに思い至りました。
 
不幸なことに、9条だけが憲法であるかのような報道が横行していますが、それは間違っています。
憲法とは、国が向かうべき方向を国民に示す羅針盤のようなものです。
70年前、戦争で荒廃した国土を前に、“非武装”で経済立て直しを優先させる方向を現憲法は示しました。
それは、間違っていませんでした。
しかし、すぐに現実が理想を覆しました。
朝鮮戦争の勃発に続く冷戦構造の最前線に日本は立たされたのです。
 
当時の吉田内閣は、その現実を前に非武装は諦めましたが、防衛を“軽武装”にとどめ、その弱点を日米同盟で補うという知恵を選択しました。
これも正しい選択でした。
日本の驚異的な戦後復興が何よりの証拠です。
護憲派は「憲法を守ってきた」と自負していますが、全くのウソです。
その時々の政権が、「憲法解釈」という知恵を振り絞り、経済優先を貫く道具として現憲法を守ってきたのです。
 
でも、その「憲法解釈」も集団的自衛権を限定的に認めるところで限界に来ています。
もう今の憲法を守ることは無理になってきたのです。
よく考えれば当たり前のことです。
未来永劫続けられる法律など、あるはずもありません。
大事なのは、過去ではなく、現在と未来です。
新しい未来に向けて、新しい憲法を創っていくことが日本の未来への出発点なのです。