☆戦争と平和(番外編):次のシリーズへの引き継ぎ

2016.03.02

戦争と平和シリーズの最終回で「戦争と平和は永遠に解けないパラドックス」と書きましたが、
私は、戦争肯定主義者ではありません。
変な言い方ですが、「平和を唱えるだけで平和が来るとは思えない主義者」です。

米国と違って、日本は、家庭に銃がある家はほとんど無いでしょう。
しかし、包丁やバットなど、武器になり得る物は、どの家にもあります。
もし強盗などに襲われたら、度胸が少しでもあれば、それを武器として使用すると思うのです。

私の家には芸術品としての日本刀がありますが、これは人の殺傷が可能な武器になります。
また、若いころ、スポーツとして楽しんでいたアーチェリーの弓と矢を今でも所持していますが、
これも充分な殺傷能力があります。
もし、日本が無警察状態になり、家族や大事な人を守る必要が生じたら、これらを武器として使用することに躊躇はないと思います。
日本では「そんなこと起きるわけが無い」とは思いますが、多くの難民が生まれる国では、日常がそのような状態なわけです。

米国は先進国ですが、少なくとも過半数の米国人は「家庭に銃が必要」と思っているのです。
その家庭内にある銃によって多くの悲劇が起きているにもかかわらずです。

平和を守るためには武力が必要。でも、その武力が戦争を招くというジレンマ。
こんな言葉があります。
「陳腐な言葉だが、戦争を覚悟してこそ平和を得られる」
この言葉は、韓国の新聞「朝鮮日報」に載った金大中(キム・デジュン)元大統領の言葉です。

私は、戦争を起こす原動力は、宗教と経済だと思っています。
そこで、次号から「経済と政治」というテーマで、戦争論の続きを書いてみようと思いました。
日本で議論になっているTPPも、この観点から考えてみると、ずいぶん違って見えてきます。
私は、TPPを「EUの理念を環太平洋に実現するもの」として捉えています。
本家のEUは理想から離れつつあるように見えますが、目指すゴールは「ヨーロッパ合衆国」です。
ヨーロッパ諸国の国民は、その理想を理解し、ぜひ実現して欲しいと思うのです。

同じように、環太平洋諸国が一つの国になることは難しいですが、経済だけでも一つの国になることは可能だと思うのです。
「TPPは米国の策略」だと言う方もいます。
そのようにも考えられますが、日本が「太平洋を一つに」という理想を掲げることで、その懸念を
払拭し、たとえ米国の策略だとしても、米国もその理想に賛同させることが出来るのではないかと考えるのです。

TPPにも弊害があり、実施に向けて各国の対立も激化してくるものと思います。
日本は、積極的にその調整役を引き受け、たとえ、自国に不利になることでも、加盟各国の総意を創りあげ、率先して受け入れていくべきなのではないでしょうか。
太平洋を平和の海にするためにです。