戦争を起こさせない二つの仕組み(2)
2016.10.03
最近亡くなった永六輔氏や大橋巨泉氏などが「戦争は嫌だ、戦争はしちゃいけない」と繰り返し言っていたと、親しかった芸能人たちが追悼番組などで繰り返し発言している。
勿論、戦争反対に異論はないが、亡くなられた両氏を含めた有名人の方々の戦争反対の主張は、どうにも薄っぺらに感じてならない。
宗教が唱えるお題目みたいにしか感じないのである。
歴史を俯瞰してみても、「南無阿弥陀仏」や「アーメン」などのお題目をいくら唱えても、結局、平和なんて来なかったではないかと、意地悪く言ってみたくなる。
お題目とは「それ以上、考えるのを止めよう」という「思考停止言葉」なのである。
その思考停止によって戦争の危機が高まることを過去の歴史は教えている。
平和は、もっと必死に考え、必死の努力を続けていかない限り得られないものなのである。
前号で、「戦争を回避する方策は2つの戦略に集約されている」とした国際政治学の見解を以下のように列挙した。
1.有効な同盟関係を結ぶ(戦争リスクの軽減効果40%)
2.相対的な軍事力を保持する(同、36%)
3.民主主義の程度を増す(同、33%)
4.経済的依存関係を強める(同、24%)
5.国際的組織への加入(同、24%)
数値はいずれも標準偏差なので、合計100%を超える。
今回は、「軍事力の均衡」を重視するリアリズム戦略である第1項と第2項を、日本の採るべき戦術として具体的に考えてみる。
1.有効な同盟関係を結ぶ
この具体策は、誰でも思いつく。
現在の日本が結んでいる軍事同盟は、日米安保同盟のみである。
ゆえに、この同盟をより実効的なものへと強化することに尽きる。
昨年の安保法案をめぐる国会論議で集団的自衛権が問題になったが、国会の中でも外でも感情的な意見ばかりで実質的な議論は全く聞かれなかった。
最初に、これまでの日本の解釈は、世界ではかなり特殊な考えであったことを理解する必要がある。
軍事同盟とは、双方が「一緒に戦う」ことを内外に示すことで、互いの防衛力を補完し合い、そのことで敵対国の攻撃の意図を挫く同盟である。
野党は「戦争法案だ」と国民を煽(あお)ったが、上記の主旨を理解すれば、戦争のリスクを下げる戦術だと分かるはずである。
「米国の戦争に巻き込まれる」とする反対意見も多かったが、それは近代以前の考え方である。
いや、近代以前でも、自国への害が大きいと判断し、同盟国の参戦要請を断った例などいくらでもある。
もちろん、その場合は同盟が崩れる危険も大きいが、それも国益判断である。
また、「集団的自衛権で戦争ができる国になる」という意見は滑稽でしかない。
およそ、独立国家であれば、集団的自衛権の有無に関わらず「戦争ができて当たり前」なのだから。
これは憲法9条の有無とは無関係な国家の基本的権利である。
このような日本の奇妙な解釈によって日米同盟の実効性に支障が出ていたのは明らかである。
集団的自衛権の解釈変更でようやく実効的な同盟になったといえる。
断っておくが、上記の意見は、私見でもなく、安倍政権を支持する意見でもない。
国際政治学上の普遍の解釈である。
2.相対的な軍事力を保持する
日本が戦争するかもしれない相手は、冷戦時代はソ連であったが、今は中国である。
そして、日本から戦争を仕掛けることがない現状では、中国の動向がカギである。
その中国の軍拡が止まらない以上、日本もある程度の防衛強化を続けざるを得ない。
もし、日中の軍事バランスが決定的に崩れた場合、中国の侵攻が現実味を帯びてくる。
ゆえに、その意図を止めるだけの軍事力が必要となる。
しかし、大幅な軍拡は、経済を圧迫する恐れが強く難しいという現実がある。
ゆえに、この戦術には大きな制約がある。
ゆえに、同盟の進化を優先する政策が必須となるのである。
次号では、3項~5項の「経済的要素、国際的組織および各国の政治体制」を重視するリベラリズム戦略を解説する。