2025年4月30日号(経済、経営)

2025.05.01


HAL通信★[建設マネジメント情報マガジン]2025年4月30日号
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発行日:2025年4月30日(水)
 
いつもHAL通信をご愛読いただきましてありがとうございます。
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2025年4月30日号の目次
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◇安藤忠雄という建築家
◇日本は同じ過ちを犯してしまうのか
◇新車陸送の世界(1)
 
<HAL通信アーカイブス>http://magazine.halsystem.co.jp
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こんにちは、安中眞介です。
今号は、経済、経営の話題をお送りします。
 
令和の米騒動は、米造りの現場から遠い官僚たちが引き起こした愚策の果ての結果です。
今の日本は「デスク作業は高級な仕事、現場は低級な仕事」という価値観に毒され、その頂点に官僚が君臨する構図になっています。
その結果、若者は現場を敬遠し、スマホの仮想空間の中に閉じこもるという国になってしまっています。
でも、そこに警鐘を鳴らしている人もいます。
今号は、この話題から入ります。
 
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┃◇安藤忠雄という建築家                  ┃
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建設産業の方、特に建築関係の人なら、この建築家の名前を知らない方はいないでしょう。
一般の人でも、名前を聞いたことのある人は多いでしょう。
そんなタレント並みの名声を得ている建築家が安藤忠雄です。
 
私は、建設会社時代、何度か有名建築家の案件を担当したことがあります。
ですが、正直、あまり良い印象を持っていません。
特異な設計が多いため施工には苦労しましたが、それが理由ではありません。
むしろ、技術者として困難な施工を達成する満足感もありました。
同時に、無理難題な設計変更を要求され、施工現場で辛酸をなめたこともあります。
だが、これは設計家が悪いというより、そうした無理な設計変更を強いながら、請負金額も工期も“そのまま”という施主(国や自治体を含めてです)の問題です。
ただ、その変更の仲介をすることもなく、知らん顔の建築家先生に対する違和感は大きかったです。
安藤忠雄氏の設計案件を担当したこともありますが、同様の苦労を味わったことで氏に対しても良い印象はありませんでした。
いや、むしろ否定的印象と言ったほうが良いかもしれませんでした。
 
ところが、先日、日刊建設通信新聞に掲載された記事を読み、安藤氏の意見に同調を覚えたのです。
それは、大阪で行ったトークイベントで安藤氏が語った言葉です。
会場には日本人だけでなく、台湾をはじめアジアの国々の若者が多かったようなので、そうしたことも氏の心境に影響したのかもしれません。
それでは、以下に4月16日の同紙に掲載された記事のポイントを要約します。
 
「今の日本人にはもうあまり期待していません。特に若者に勇気も元気もない」
「学校に通えなかったから、私はひたすら本を読んだ。今の日本人は本を読まないし、一生懸命働かないように見える。日本人は内向き志向で、かつての元気を失っている」
「これからは人として本当の力が試される時代。試験に合格するためでなく、人間の力を高めるために、学ぶ必要がある」
そして、「でも、台湾の人たちは違う。よく勉強するし、優秀な学生は積極的に海外に出る」として、アジアの若者のほうを評価している。
こうした安藤氏の言葉に、冒頭に書いた私の嘆き(?)と共通の思いを感じたのでした。
 
日本人が、こうも後ろ向きになってしまった要因は、たった一つではないかと思っています。
50年前、20代の頃に一緒に仕事をしたドイツ人に言われました。
「今の日本人には勇気が足らないよ」
安藤氏は、徒手空拳で世界一周の旅に出た自身の60年前の時のことを「勇気を振り絞るしかなかった」と述べています。
そうです。今の日本人に決定的に欠けているのは、この「勇気を振り絞る」ことではないでしょうか。
そして、このことは、今の若者だけでなく我々年代の者にも言えるのではないでしょうか。
私の頭の中には、若き日の「あのドイツ人から言われた言葉」が、あの日以来、こだまし続けているのです。
 
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┃◇日本は同じ過ちを犯してしまうのか            ┃
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日本は、1955年から始まる高度成長期を過ぎた後も経済成長を続け、経済大国への道を駆け上っていきました。
そのピークの1995年のGDPは、なんと米国の72.6%に迫っていました。
しかしそれから30年、2025年現在、GDPは米国の13.7%にまで落ち込み、2010年に抜かれた中国の背中も遠くなり、2023年には円安の影響もありドイツに抜かれ第4位に後退しています。
まさに「失われた30年」です。
どうして、こうなってしまったのか。
果たして、この先、盛り返せる日は来るのでしょうか。
 
米国の社会学者エズラ・ボーゲルが著書「ジャパン as No.1」を発表したのは高度成長期からバブルへ向かう1979年でした。
その本の予告(?)どおり、日本経済は米国を追い落とす勢いで急成長を続けました。
焦った米国は、1985年9月22日に米国ニューヨークのプラザホテルでG5の会議を開き、各国の財務トップと中央銀行総裁が為替レートの安定化策で合意しました。
これが、世に言う「プラザ合意」です。
主な合意内容は、各国の外国為替市場の協調介入によりドル高を是正しアメリカの貿易赤字を削減し、アメリカの輸出競争力を高めることでした。
2025年の今は、この時のデジャブ(既視感)を見ているかのようです。
 
当時と大きく異なっているのは、ターゲットとなっている国とその対立軸です。
1985年のターゲット国は、まさに日本でした。
欧米5カ国vs日本という構図になり、多勢に無勢の日本は屈服するしかありませんでした。
結果として、世界シェア80%近かった日本の半導体に対し米国は安全保障上の脅威として「スーパー301条」を適用し、日本の半導体ビジネスは崩壊しました。
 
それから40年後の現在、再び大きな貿易赤字を抱えた米国で「第二のプラザ合意」の必要性が語られ始めましたが、今回のターゲット国は日本ではなく中国です。
また、40年前は米国についた欧州各国は、トランプ大統領の過激な政策で米国と敵対関係にあります。
つまり、米国vs中国の構図だけでなく、米国vs欧州(カナダも欧州側です)という対立軸の二重構造になったわけです。
こうした状況に、日本はどうすべきでしょうか。
 
石破首相は、ひたすら米国に「お目こぼしを・・」のお願い外交で凌ぐつもりで、他に策はないようです。
一方、中国との関係はというと、ビザの大幅緩和など親中姿勢が目立ちます。
こうした日本の姿勢に対し、どこかで米国から圧力が掛かる可能性がありますが、石破首相がその対策を考えている様子は見えません。
40年前と状況は同じではなく、日本が打つべき手はあります。
しかし、今の日本政府が40年前以上に無策なことが最大の危機です。
今年中に、政治の仕組みを根本から変えなくてはなりませんが、その責任は国民にあります。
その話は、次号(5/15号)で。
 
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┃◇新車陸送の世界(1)                  ┃
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「新車陸送」と聞いて「知ってるよ」と仰る方は少ないでしょう。
でも5~6台のナンバープレートが付いていない新車を載せて走っている大きなトレーラーを見かけたことはありませんか。
あの方法で新車を運ぶのが“正規”の新車陸送です。
運んでいるトレーラーは特殊車両ですから、普通免許ではもちろん運転できません。
そうしたトレーラー輸送方式とは別に、1台ずつ人間が運転して工場から運ぶ形式の「新車陸送」があり、区別して「単騎(陸送)」と呼ばれていました。
今ではほとんど姿を消した形態ですが、日本の自動車生産が爆発的に増えた高度成長期に生まれた方法のようです。
その時代、大量生産された新車の多くは米国を筆頭に豪州や東南アジアへ輸出されていました。
輸出するには、生産した新車を各工場から港へ運ぶ輸送が必要ですが、膨大に増え続ける輸送量にトレーラー輸送が追い付かなくなりました。
そこで大量の人員を雇い、一台ずつ運転して港まで運ぶ「単騎」輸送が始まったのです。
 
当時、大学に入ったばかりの私はおカネに飢えていて、新聞の求職欄で高額なバイトを探していました。
そこで見つけた小さな求職欄に「陸送員募集」とあり、通常のバイトの数倍の報酬額が記載されていました。
訪れた小さな社屋で、免許証を見せ社長の面接を受けました。
しかし、4輪免許を取って1年未満だった私は「1年未満はダメだな」と言われました。
それで、もう1枚のライセンスカードを見せました。
それは、レースの「B級ライセンス証」です。
それを見た社長は「レースをやってるのか?」と聞きました。
私は「はい、でもレーシングチームのメカニックを手伝い、合間にレーサーから指導を受けながら、時々走っている程度です」と正直に答えました。
 
社長は少し考えた後、「じゃあ、メカには強いな」と言い、「よし採用だ」と、その日の夕方7時に会社に来るように指示しました。
水商売を始める前の頃だったので、私は二つ返事で陸送のバイトを始めることになりました。
 
指定された時間に会社に行くと、十数人の男が集まっていました。
多くは30代や20代後半のようでしたが、学生らしい若者も数人いました。
社長は私を「今晩から仲間になった“あんなか”くんだ。仲良くしてやってくれ」と紹介しました。
そして、30代の一癖ありそうな男を「彼がリーダーの〇〇だ。なんでも彼の指示に従うように」と紹介しました。
私は、その男の前に行き「よろしくお願いします」と頭を下げ挨拶したところ、彼は「お~」とだけぶっきらぼうに返事を返しました。
 
その後、全員で1台のマイクロバスに乗り、神奈川方面に向かって走り出しました。
横に座ったリーダーは、私に「オレたちは、日産の子会社の下請けのまた下請けの会社だ。いや、そのまた下だっけ」と言い、別の男に「そうだっけ?」と聞きました。
聞かれた男は「そんなのどうだっていいよ。オレたちは何台運んだかだけ覚えていればいいのさ」とぶっきらぼうに答えました。
リーダーは「そうだな」と頷き、私に向かって説明を続けました。
「目的地は横浜の本牧ふ頭だ。出発地は日産の工場だが、いろいろだ。きょうは座間だが、明日は藤沢か本牧だな。東村山とかもあるが、出発地によって1台当たりの運送代は違う。だが、運送代は全員が平等だ。オレが運んでも新人のお前が運んでもな」
そこで、たばこの煙を私に吹きかけながらニヤッと笑い、「誰の稼ぎも運んだ台数だけで決まる。な、平等だろう」と言いました。
その声で、後ろの席から一人の男が乗り出してきて、「この全員で一緒に走るんだ。何があってもな」と、私の肩を叩いた。
私は、今まで体験したことのない異世界に飛び込んだことをひしひしと感じましたが、貧しい家計を思うと、『学費はこれで稼ぐんだ』という決意を固めていました。
こうして、とんでもない経験の幕が開けたのでした。
 
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<編集後記>
前月号で予告した投資の話は、次号以降にします。
ただし、財テクや博打的な投資ではなく、企業発展のための投資の話です。
企業経営で一番難しい政策であり、リスク無限大といえる冒険でもあります。
私自身、とても成功者とはいえない経験しかありませんが、35期の今日まで生き抜いてきた核心の要素でもあります。
また、企業経営だけではなく、一個人の人生においても大切な要素だと思っています。
そうした観点の話を心掛けます。
 
※お知らせ
「儲かる建設会社になろう」は、もうすぐ第6回をアップする予定です。
 
 
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