これからの近未来経済(11):山なり多重回帰曲線型経営(その2)

2021.10.18


前号で述べた創業期に陥る落とし穴を逃れた弊社は、数年で想定した以上の業績に達しましたが、そこに第二の落とし穴が待っていました。
急激な成長に伴い社員数も増えましたが、未成熟な統治機構が影を落とし始めました。
2本の柱だった建築設計部門とIT部門の対立が顕在化してきたのです。
両部門の幹部の心理的な衝突も増えてきましたが、私は新事業にかかりきりで放置していました。
「ともに大人なんだから・・」という期待感で放置したのです。
しかし、建築設計部門の幹部は40前後、IT部門は30前後でした。
そのようなことに無頓着だった私の欠点が露骨に出て、事態は深刻さを増していきました。
 
私は、子供の頃より“ものを作る”ことが食事することより好きでした。
創業にはそれがプラスとなりましたが、会社が一定の規模になると、それが裏目となったのです。
軌道に乗ったかに見えた建築設計とITの仕事への興味が薄くなり、新事業の立ち上げのほうに没頭してしまったのです。
 
企業の成長には一定の時間が掛かりますが、凋落は早いものです。
経営破綻の足音は一気に迫ってきました。
社員の退職が始まる前に、幹部たちの離脱が起きました。
「社長に、どこまでも付いていきます」と言った者ほど、先に辞めていきました。
人間とはそんなものだと思い知り、自分の甘さを呪いました。
 
「悪い時には悪いことが重なる」と言いますが、その通りです。
業績が下降に陥った時に、妻がガンで手術するという事態が重なりました。
医者から「手術の成功率は5%」と言われたことで、本人にはガンを隠すことを決意し、両方の家族にも言いませんでした。
重大事を自分ひとりの胸に収め続けることの苦しさは計り知れませんでしたが、これも自分への試練と受け止めて貫くことを決意しました。
 
この頃、私の頭の中にあった考えは以下のとおりです。
「私は、自分が末期ガンだと言われても耐えられる人間だ。ゆえに運命は、私自身を痛めつけるのではなく、私の最大の弱点を、こうした形で突いてくるのだろう。負けるわけにはいかない」
そして、
「思い返してみれば、サラリーマン時代から今日まで、私は後ろへ下がった経験がない。
いま初めて撤退戦を戦う局面に直面した。これも経験だ。必ず抜けてみせる」と決意しました。
 
もちろん、自分ひとりの力で倒産の危機を抜けたわけではありませんが、非常事態では何よりもトップの決意が重要です。
それがあって始めて様々な支援の手が伸び、奇跡のような事態が起きます。
 
しかし、「そうした経験が大事なのだ」というつもりは全くありません。
創業期から危機を脱するまで蓄積してきた経営データを詳細に分析して、一定の法則を見出したのです。
そこから理論化した手法が「山なり多重回帰曲線型経営」です。
次号で、そのことを述べたいと思います。