日本における設計業務の闇(1)

2014.01.31

昨日、東京臨海副都心へ出かけた。
この巨大開発が盛りの頃、私は、このエリアにあった東京都の現地事務所で設計業務に携わっていた。
当時の本籍はゼネコンであったが、そこから大手の設計事務所を経て都の職員として働いていた。
給与は本籍から支給されていたが、仕事の成果物は全て『都が自ら作成したもの』として入札に掛けられていた。
そして、落札者は、たいてい本籍のゼネコンであった。

当時、このようなことはどこでも行われていた。
多くのゼネコンやサブコンの設計者が、私のような「ウソの身分」で働いていた。
おそらくは、私のように「砂を噛むような苦い思い」を抱きながら。

東京都が五輪関係施設の発注にDB(デザインビルド)という「設計・施工一括発注」の採用を発表したとき、すぐに過去の苦い思い出が思い出された。
DBに設計事務所側は猛反発しているが、私は心の片隅で「何をいまさら・・」と思っていた。
「あの時、『濡れ手に粟』の設計料を受け取っていた報いだよ」とすら思った。

勿論、こんな良い思いをしたのは大手の設計事務所だけで、大半の事務所は真面目に仕事をしていた・・と言いたいが、残念ながらそうは言えないことばかりだった。
私が設計業務で付き合った設計事務所(中小を含めて)のほぼ全てが、同じであった。

だが、彼らだけを責めるわけにはいかない。
不正の根本の原因が、日本の設計料の安さにあることは、業界の誰もが分かっていたからである。
当時の設計料の相場は、施工費の3%前後であった。
しかし、実際の費用は6~8%に上った。
設計事務所が自力で設計すれば、大赤字必至である。
だから、施工者に「ただ」で設計させるのである。
その見返りは、設計した業者が施工で落札できるようにすることである。
これが業界の常識で、発注者も暗黙に認めていた建設業界の暗部である。

この悪習慣は民間でも横行していて、設計という仕事の価値は地に落ちた。
ちなみに欧米ではこんな習慣はほとんど無い。
(私の経験では、中国などでは、別の意味で日本以上にひどい)

では、最近はどうなのであろうか。
それは次回に。

(追記)
“ゆりかもめ”の車窓から久々に見た臨海副都心の光景、正直、へどが出そうになった。
何の秩序もなく、大きなビルがデタラメに林立している風景にため息しか出なかった。
当時を思い出して、「そりゃそうだ。ランドスケープデザインなんてどこにもなかったからな」と暗い気持ちになった。
オリンピックで、世界の人々がこのひどい光景を目にするのである。
別の意味で、日本の設計界の闇である。