欧米の基準では測れない中国という国(その1)

2018.07.03

欧米人にとって、アジアは異質な世界である。
中世に王政を倒して民主主義を確立していった西欧各国、そして英国の植民地支配から脱して独立した米国は、その成功体験がアジアでも成立すると信じていた。
そして、その最大の要素は経済発展にあると考えた。
たしかに、そうして民主主義国になった国は多いが、必ずしも欧米の考えた民主主義と同じではない側面を見せることも多い。
たとえば韓国。政権交代の度に以前の大統領が不幸な結末を迎える姿は、民主主義とは違う前時代的な情念政治そのものである。
また、大国への道を歩んでいるインドは、英国流の政治スタイルを踏襲しているように見えるが、未だに残るカースト制度を払拭できないでいる。
 
そして、中国である。
欧米は、ソ連崩壊後、共産主義の中国を世界の秩序に迎え入れるため、世界貿易機関(WTO)などの国際機関に加盟させ、市場経済への移行を促した。
経済が豊かになれば、中国国民が民主的な自由や権利、厳密な法の支配などを求め、民主主義へ移行すると思ったからである。
 
たしかに、この効果もあって、1980年に3050億ドルに過ぎなかったGDPは、2017年には12兆0150億ドルと40倍にもなった。
米国が主導してきたグローバル経済に統合された恩恵を中国が積極的に利用した結果であり、それがなければ、10倍にも達しなかったと思われる。
 
しかし、習主席による独裁が強まり、民主主義国家への道はまったく見えなくなった。
欧米の読みは完全に外れたのである。
というより、欧米は中国という国の力を甘く見すぎたのである。
経済が豊かになれば市場経済に移行するはずという欧米の常識は通用せず、中国は真逆の政策を取った。
国家の力を最大限に強化し、自国の企業を優遇し、外国企業に厳しい条件を課し進出を制限し、かつ技術を徹底的に吸い上げたのである。
私は1980年代の中国で仕事をしたことがあるが、現場でそのことを痛感し、日本の将来を危惧したものである。
そのくらい、現場に対する中国政府の干渉は露骨であった。
おそらく、当時の日本および欧米企業の現場では同じ危惧を抱いたものと思うが、その声は各国の政治には届いていなかったのである。
いや、私の経験では、自社の経営陣にすら届いていなかった。
 
この問題は、次回も続けて論評します。