近代史を闇の中から引き出すことで、これからの戦略が見えてくる(1)

2021.05.07


私が小中学校で受けた近代史の教育は、「太平洋戦争は日本が始めた侵略戦争で・・」から始まる簡単なもので、開戦前後の世界情勢や日本が置かれた状況などは皆無でした。
おそらく、読者のみなさまが受けた教育も似たような内容だったのではないでしょうか。
 
もちろん、それがGHQの日本解体政策であったことは、今日では分かっています。
しかし、今日に至るまで、こうしたGHQの政策で隠された歴史の多くは埋もれたままです。
そのことが、左派勢力の「平和日本」というプロパガンダに利用され、逆に右派勢力の「神国日本」という喧伝に利用されています。
必要なことは、そのどちらに加担することなく、確実といえる証拠に基づく客観的な教育なのです。
そのことを時系列に少し述べてみたいと思います。
 
1920年(大正9年)、ソ連の初代最高指導者ウラジミール・レーニンは、「世界の共産化を進めるため米国を利用して日本に対抗し、日米の対立を煽(あお)るべきである」と主張しました。
レーニンの後を継いだヨシフ・スターリンは、日中戦争を背後で煽り、戦争の拡大を仕掛けました。
1938年(昭和13年)、日中戦争に深入りした日本を以下のように評しています。
「歴史はふざけることが好きだ。ときには歴史の進行を追い立てる鞭(むち)として、間抜けを選ぶ」と、日本をバカにして、米国との戦争に引きずり込む算段をしていました。
それに乗ってしまった日本は、本当に「間抜け」としか言いようがないのですが、この間抜けさは日本人の本質かもしれません。
 
さて、ここで視点を中国大陸に向けてみます。
当時の中国大陸で日本が戦争していたのは、蒋介石率いる国民党政権であり、中国共産党ではありません。
この日中戦争を背後で煽っていたソ連のコミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)の命令で動いていた中国共産党は、巧妙に日本軍との衝突を避け、時には裏で日本軍へ国民党軍の情報を漏らしていました。
 
ただ、私はこの時の中国共産党を「汚い」というつもりは全くありません。
むしろ、そうした戦略、そして実行力を評価しています。
情けないのは日本で、終戦直前までソ連が味方だと信じていたのですから、お人好しに呆れるばかりです。
 
次回は、開戦の裏側をもう少し掘り下げ、国共内戦までを解説したいと思います。