日本の世界における役割とは?(1)

2024.03.04


ウクライナやガザの現状、中国や北朝鮮の自分勝手な振る舞いなどから明らかなことは、国連の存在意義が消滅に向かっているという現実です。
このことは、戦後日本が掲げてきた「国連中心主義」が意味を成さなくなっているということでもあります。
しかし、日本外交は、この惰性から抜け出せることができず、ずるずると世界における存在感を失いつつあります。
こうした事態に無能さをさらけ出している現在の政治を責める前に、国民一人ひとりが自らの意識を縛っている「見えない鎖」を断ち切る必要があります。
今号から数回に分けて、この問題を論じたいと思います。
 
この「見えない鎖」とは「79年前の敗戦」のことで、現在まで続く軍事防衛アレルギーの素となっています。
こう書くと「お前は軍拡論者か」と言われるでしょうが、「防衛」は国家を保つ原則であり、「軍拡」は、そのための手段のひとつです。
ですから、私は決して手段のみを申し上げているのではなく、まず原則を論じたいと思っています。
 
「たとえ他国から軍事攻撃を受けても、他国を軍事攻撃してはいけない」、いや「その準備をすることさえもいけない」、いやいや「そもそも軍備を持つこと自体がいけない」とする憲法9条を頑なに守ろうとする意識は、年配層を中心に今もって強いように感じます。
その憲法を強いた米国は、「日本は再独立を果たした際に改定するだろう」と考えていたことは、様々な戦後文書の公開によって明らかになっています。
ゆえに、米国は「まさか、現在に至るまで変えないとは・・」と、“とまどい”から”あきれ”、さらに”いらだち”をつのらせています。
 
もちろん、当時の吉田首相はバカではありません。
「軍事力がなければ国を守れない」ことは良く分かっていました。
しかし日本国民は、もともと「平和を愛する意識」が根底に根付いている民族です。
そこに、原爆まで落とされた悲惨な敗戦が重なりました。
「軍隊さえなければ戦争は起きなかった」とする国民の強い軍事アレルギーを前に、“ごまかし”に終始するしかなかったのです。
 
そうした中に浮上してきたのが「軍事力はいらない、国連に守ってもらえば良い」とする国連第一主義でした。
吉田内閣は、この国民感情を利用し、すべての経営資源を戦後経済の復興に投入し、成功しました。
そして「国土防衛は国連に託す」という政策を進めたわけです。
 
しかし、国連軍が組織されたのは、国連創設以来、たった一度だけです。
それが朝鮮戦争です。
戦争が始まった1950年当時の中国は共産党が政権を奪取していましたが、台湾に逃れた国民党が国連での議席を有していました(共産中国が台湾に代わって議席を得たのは1971年です)。
ゆえに、当時の中国(台湾政府)は米国に追随し、国連軍に賛成票を投じました。
ソ連は、北朝鮮の後ろ盾でしたが、米国との戦争になることを恐れ、棄権しました。
よって、安保理決議は、賛成4,反対0で成立したのです。
 
ちなみに、湾岸戦争における米英軍などは「多国籍軍」であり「国連軍」ではありません。
つまり、日本が国連に守ってもらえる可能性は限りなくゼロであり、現実は「米国に守ってもらう」しかなく、軍事同盟である日米安保条約に依存しているわけです。
しかし、軍事同盟は「相互防衛義務が常識」の同盟です。
米国には日本を守る義務があるが、日本には米国を守る義務はないとする「虫の良い条約」など有りはしないのです。
それゆえ、日本は米軍に基地を提供し、米軍が自由に使って良いとする交換条件が付いているのです。
その意味から考えれば、沖縄の普天間移設問題は「日本のわがまま」になるのが、国際常識です。
 
次回は、ここから抜け出る戦略の話をしたいと思います。