自虐と良心(1)

2014.09.15

戦後の日本人は、自虐と良心とを混同してしまったのだと思う。
敗戦ですっかり自信を喪失し、民族の誇りを失ったことが大きい。
昭和20年8月15日までは、それとは真逆の、過剰な自信と民族至上主義に浸されていたのであるが、わずか一日で180度転換してしまったのである。

私の母は終戦時17歳であったが、周りの大人はみな、「必ず神風が吹く」と言っていて、自分もそれを信じていたと言う。
現代からみたら、「なんとバカな!」と絶句してしまうが、当時の日本は、そのくらい「神がかり」的な国家であったのである。

それが、神風は吹かず、完敗の事実を突きつけられた。
さらに、あろうことか、「神」と信じていた天皇が「自分は人間である」と宣言したのである。
母の言葉を借りれば、「茫然自失」以外の言葉はなかったという。
そのように思考能力を失った当時の日本人の心に忍び寄ってきたのが、国家を否定する国際共産主義思想である。
特に、教師や文化人など、高学歴な人ほど、この思想に救いを求めたのである。

私の一族は、父方も母方も、軍人のほか、教師や公務員が多かった。
つまり、軍国日本に貢献していた一族である。
それが、死んだ者が多かったせいもあり、国家に対して否定的な意識が芽生えていったようである。
それまでの過剰な自信と民族的な誇りが、国家の否定、そして「自虐」へと変わる反転材料となったのだと思う。
そして、その感情を「良心」と誤解してしまったのである。

戦後生まれの私には推定するしかないのであるが、両親や親族から直接聞く言葉は重かった。
団塊の世代の人間は、私のような体験をした者が多いのではないか。
そんな彼等に熱烈に支持されたのが朝日新聞である。
朝日新聞が自虐の戦後史に果たした役割はとても大きかったと思う。
私も、10代後半から20代初めまで、朝日新聞は「良心の新聞」と信じていたフシがある。

こうして、あの大学紛争の芽は醸成されていったのである。
次号に続きます。