財務官僚に取り込まれる岸田首相

2023.06.15

【国際・政治】2023

岸田首相が今国会での解散を否定したことで、安心して(?)内閣不信任案を出せる立憲民主党。
もちろん、否決されることが前提のカッコ付けの提出です。
ということで、国会はしばらくお休み。
 
そうした無風(腑抜け?)状態の国会とは違い、先月の日銀の会合では大きな波乱が起きました。
今月15、16日の2回目の会合の結果はまだ分かりませんが、気にはなります。
このことは、次(6/30)の経済号で解説したいと思います。
 
政治を考える上で重要な軸があります。
その軸とは予算配分であり、その決定が政治主導で行われるか財務主導で行われるかで政治は変わります。
戦前は、内務省が中心的な権限を持ち、両方のバランサーの役割を果たしてきました。
しかし、敗戦の結果、GHQ(General Headquarters=連合国軍最高司令官総司令部)により内務省は廃止されました。
GHQは、軍部が内務省と結託して、あの戦争を引き起こしたと考えたのです。
その結果、内閣は政策決定の統治機構を失いました。
当時は、政策決定はGHQが行うので必要なかったともいえます。
 
サンフランシスコ講和条約により、日本は1952年に主権を回復しますが、1945年の敗戦からの7年間は目まぐるしく政権が交代しました。
(この間の経緯は、いずれ本メルマガで解説しようかと考えています)
 
その中にあって、内閣統治の司令塔であった内務省は復活せず、代わりに主導権を握ったのが、財務の元締めである大蔵省です。
敗戦で財政破綻状態にあった日本は、復興資金を米国から借りるしか手段がありませんでした。
このような時は、借りたお金をしっかりと管理し返済を実行するという信用が何より大切ですから大蔵省主導で良かったといえます。
なにしろ、敗戦時(1945年8月)の政府債務は約2000億円(うち国債残高1408億円)にのぼっていました。
GDP比でいうと200%を超えていました。
「今と同じではないか」と言われるかもしれませんね。
しかし、膨大な資金を投じた軍艦や飛行機の大半は消え、生産設備は空襲で瓦礫の山と化した中で、GDPの多くは無いと同様になっていましたから、計算不能状態が真実の姿です。
当時の大蔵省の記録を見ましたが、解説不能なほどの「無い知恵を振り絞り」状態が伺えます。
客観的にみて「よくやった」と言うしかありません。
もっとも、戦後に起きた記録的な超インフレで国債や銀行預金等が紙切れ状態になったことも幸いしました。
経済とは、こんなものなのだな、と思うと同時に、日本人は逆境に強いDNAがあるのかとも思いました。
 
このように、大蔵省の功績はあったのですが、強大になりすぎたとして、2001年に現在の財務省と金融庁に分割されました。
森内閣の自公保(自民党、公明党、保守党)連立政権の時です。
22年前のことですから、読者の皆様も「もう忘れた」でしょうね。
この時、首相の権限強化の目的で、首相直属の機関として内閣府が生まれました。
が、戦前の内務省のようにはいかず、どうも存在感の薄い官庁となってしまっています。
 
そうなると、財務省が、かつての大蔵省のような権限を持ち始めます。
その後の首相は、民間から自らのブレーンを集め、首相補佐官のような米国型の政治を志向してきたことで、財務省の権限は抑えられてきました。
その典型が安倍元首相で、かなり優秀なブレーンが集まっていたと思います。
しかし、息子を首相補佐官にしてしまうほどブレーンを集められない岸田首相は、今や財務官僚に取り込まれた形になっています。
ストックオプションに対する20%課税を所得税と同額にすることを皮切りに、退職金に対する課税も一般所得扱いにするなどの増税案が目白押しです。
当然、消費税の15%、さらに20%増税なども盛り込まれています。
野党の弱さを考えると、与党内の反対勢力に頼るしかないのが悲しいですね。