リベラルの衰退
2025.07.16
私は、「全共闘世代」と言われる年代の人間で、学生時代にはデモにも参加した革新派でした。
しかし、学生運動は当時の政治権力の物理的な力の前に、あえなく壊滅してしまいました。
その大きな要因は、当時の左派政党がまったく蚊帳の外だったことにあります。
当時は、自民党と社会党の二大政党時代で、社会党は今の立憲民主党とは比べ物にならないくらいの勢力を誇っていました。
学生運動のリーダー格の一人だった友人は、私たちに熱く語っていました。
「今や、全国の大学の8割の学生が立ち上がっている。これを政治家は無視できなくなる。特に労働組合から支持されている社会党は必ず動き、やがて大衆運動へと広がり、現政権の打倒に繋がるんだ」
彼の言葉を聞きながら、当時の私は「そんなに“うまく”いくかな?」と思いましたが、反論どころか疑問すら口にできないような雰囲気がありました。
確かに、お茶の水周辺ではデモ隊と機動隊の衝突が日常の風景となり、新宿西口の広大な地下広場がデモの群衆で埋め尽くされる光景を見れば、彼らが「革命前夜だ」と叫ぶのも無理はない雰囲気が東京には溢れていました。
しかし、そのような折、故郷の新潟の農村で見た風景は、昔と何も変わらず、本家や親族の伯父や伯母たちは、一生懸命田んぼで働いていました。
最年長の伯父は、私の父と同じ軍人だった人で一族の長老格でした。
帰郷した折、伯父は私に東京のことを聞き、こんなことを言いました。
「俺が士官学校を出て少尉に任官した頃、二・二六事件が起きた。反乱将校の中には士官学校の先輩もいた。当時の兵隊は強制的に徴兵された者ばかりだった。オレの部下たちも大半はそうだった。特に東北の飢饉がひどい時代で、彼らはみな故郷の悲惨さに胸を痛め、自分が何もできないことを嘆いていた。だから、反乱に決起した先輩たちの気持ちは痛いほど分かった。でもな、国民は彼らを支持しなかった。なぜだと思う」
その問いに私は「情報が統制され国民には何が起きているかが分からず、反乱軍将校にはその統制を破り国民に事態を広報する能力も考えもなかったからですか」と答えたところ、伯父は「そうだ」と答え「当時の国会議員はみな沈黙だったしな」と言いました。
私は歴史が好きだったので、二・二六事件については、ずいぶん文献を読みました。
当時、士官学校に在籍していた私の父も、夜中に非常呼称で起こされ、雪が降る中、実弾を渡されて皇居のお堀端で警護に就いたが、何が起きているのか全く分からなかった」と話していました。
そうしたことから、私の頭の中では、学生運動のリーダーの一人だった友人が反乱軍の将校とダブって見えたのです。
そして、戦前と同様、当時の社会党など、今でいうリベラル勢力は学生運動から身を離し何もしませんでした。
学生運動は、東大安田講堂の攻防戦を最後に、当局に完全に鎮圧されました。
そのすぐ後に企業に就職した私は、今度は労働組合のウソ臭さに失望しました。
担当プロジェクトが佳境の中、労働組合が「全社ストライキ」を打ちました。
しかし、私は出社し仕事を続けました。
つまり「スト破り」です。
数日後、組合から「組合事務所に出頭せよ」との“警察からの命令”のような通知を受けました。
組合事務所に出向くと、組合幹部からこう恫喝されました。
「当社はユニオンショップ制である。一般社員は自動的に組合員になる。ゆえに、組合を除名になると、君は会社を辞めることになる」
そんなことぐらい知っていた私は、こう言いました。
「知っています。だが、働く意志は個人の権利です。組合に“働くな”という権限はありません。私の行動に対し、除名するならどうぞ」
私は、若いころから、こうした脅しがとにかく嫌いで、屈する気持ちは微塵もありませんでした。
しかし、結局、組合も会社も、何も言ってきませんでした。
表題を「リベラルの衰退」にしましたが、衰退どころか、日本のリベラルは、何も起こすことが出来ず、自然に消滅しかかっているのに過ぎないのです。