働き方は、人それぞれが当たり前
2025.10.16
高市総裁の「馬車馬のように働く」という表現を巡って、マスコミや評論家たちだけでなく、SNSでも議論になっています。
この発言を巡ってテレビ番組などで、働き方や多様性の観点から様々な意見が寄せられています。
ユーザーコメントでは、「国のトップがそのようなことを言うと、国民への強制力になってしまう」という批判と、逆に「多様な価値観の働き方を認めるなら、馬車馬のように働くスタイルも多様性の一つとして認めるべきだ」という意見があり、さらに「比喩的な表現を過剰に批判するのは本質を見失っているのではないか」といった声も聞かれます。
このように、「ワークライフバランス重視の風潮+ハードワークを否定する」空気と、「高市発言はあくまでも個人の意見であり、自民党議員に対する檄だ」とする意見がぶつかり合っている印象です。
こうした議論、高市氏以外の他党の党首はどう思っているのでしょうか。
私の耳目には何の意見も聞こえず見えずですが、「余計なことは言わぬが花」なのでしょうね。
そもそもワークライフバランスとは何なのでしょうか。
現在、経営者である私は馬車馬のごとく働いていますが、サラリーマン時代も同じでした。
20代前半はスポーツ活動の比重がそれなりにあり、セミプロみたいな存在で仕事以上に馬車馬となり、ついには重い怪我を負い、選手生命を失いました。
でも、すべては自己責任です。
仕事でも、建設現場の事故で大きな怪我を負いましたが、監督である以上、それも自己責任です。
すべては個人の選択であり、馬車馬のごとく生きることも、逆に気楽に生きることも、批判すること自体“おかしい”と思うのです。
問題になるのは、そうしたハードワークを強制された場合であり、それには法的処置を含めた歯止めが必要です。
高市総裁の馬車馬発言は、もちろん強制ではなく自主的活動ですから、外野がとやかく言うことでは無いと思います。
今年はノーベル賞受賞者が2人も出て盛り上がっていますが、お二人とも、若い頃から本当に長い間、馬車馬のごとく頑張ってこられた方だと思います。
お二人以前の受賞者の皆様も全員、血のにじむような努力を長年続けてこられた方々です。
また、受賞の栄誉に到達できなかったけれど、同様の努力を続けた研究者や技術者の方も大勢いて、さらに名も無い多くの方の努力の上に今の日本の繁栄があります。
そのことを忘れたくないなと思います。
ただ、働き方の多様性や表現の方法および受け止め方についての活発な議論は大いにすべきです。
その過程で多様な働き方を認めるなら、馬車馬のように働く人もいて、適当に働く人もいて、なんもせずとも生きていける人がいるのが当然です。
批判のための批判が言いたくて、発言者の比喩的表現を切り取って批判するのは本質からずれているし、卑怯な気がします。
頑張っている人が評価される社会を願うだけです。

