USスチール買収問題(後編)

2025.09.01


この問題、時間が経ってしまいましたが、「一件落着」なわけではありません。
実は、問題だらけなのです。
日本製鉄の戦略の細部は、いまいち不明瞭です。
そのあたりを推測しながら、論評したいと思います。
 
日本製鉄は、141億ドル(約2兆円)でUSスチールの普通株100%を取得し、同社は上場廃止となりました。
これに加え、日本製鉄は2028年までにさらに110億ドル(約1兆6000億円)の投資を行うことになっています。
内訳は、ペンシルベニア州モンバレー製鉄所の設備、および研究開発拠点の新設です。
つまり、買収コストは合計3兆6000億円の巨額なのです。
 
USスチールの粗鋼生産能力は年間2300万トン程度で、この粗鋼生産能力あたりの投資額を計算すると、1100ドル(約16万円)程度になります。
日本製鉄が公開した資料では、投資金額は「1トン当たり600ドル(約8万7000円)が妥当」とあり、鉄鋼業界では、1トンあたり1000ドル程度が投資金額の限界と言われています。
つまり、今回の買収額は10%割高であり、その上、今後、トランプから追加投資が求められる可能性を考えると、この買収には危険要素が“いっぱい”と言えます。
 
それでも、日本製鉄がこの買収に執心したのは、国際的な競争力の確保が狙いです。
中国の台頭により粗鋼生産力が世界4位に落ちたことで将来を危惧した経営陣は、USスチールの買収により世界3位への浮上を狙いました。
しかし、どうやら4位のままになりそうです。
それでも、米国内での生産基盤を確保することで関税障壁の下で有利な立場を確保することを狙ったわけで、それは功を奏する見込みがあります。
米国が鉄鋼・アルミニウム品目関税を25%から50%に引き上げ、さらに8月15日に、この関税を約400品目の関連製品にまで拡大することを発表したからです。
(日本を含めた各国と約束した15%への引き下げには関係なく引き上げます)
この処置は、たしかに同社にとっての追い風となるでしょう。
 
韓国の現代製鉄(現代自動車グループ)は、ルイジアナ州に58億ドル(約8360億円)を投資して製鉄所を建設し、29年の商業生産を目標に推進中ですが、
同国の鉄鋼産業研究院のソン・ヨンウク代表は「日本製鉄が米国内インフラと販売網を先に確保した点で韓国より有利だ」と、自国の不利を認めています。
日本製鉄は2021年3月に発表した中長期経営計画で、「総合力世界トップを目指す」と宣言しました。当然、重視したのは米国事業の強化です。
主要先進国の中では、米国は人口が増加傾向にあり、鉄鋼需要が増加する期待も高い国です。
自動車やインフラ整備だけでなく、AIデータセンターの建設などで、鋼材需要は大幅に伸びると予想されています。
米国の現在の鉄鋼需要は約1億5000万トン/年ですが、自給率は約55%にとどまっています。
トランプ政権は、ご存じのように、製造業の復興を重視しています。
こうした背景を考えると、米国で国産の鉄鋼製品の生産量を増やすことができれば収益拡大の可能性は高くなります。
この考えで日本製鉄はUSスチールの買収を決断したわけです。
 
今後、鉄鋼業界を取り巻く環境は大きく変化していきます。
日本製鉄は、国内・国外の組織統合などを迅速に進め、同社が持つ高い技術力を駆使して、新生・日本製鉄の収益性を高めることが必要です。
最大のポイントは、強力なライバルである中国勢にいかに対峙するかです。
彼らは中国政府の全面支援による価格競争力で、世界に対し徹底した安値攻勢を仕掛けています。
今回のUSスチール買収で、米国市場においては、トランプ大統領による中国製品排除が日本製鉄には追い風となるでしょう。
しかし、本当の勝負はそこではありません。
日本製鉄は独自技術をさらに先鋭化し、安値競争ではなく新製品の開拓により世界市場に勝負を懸けていくことです。
今後の戦略構築および結果を出していく同社経営陣の力量が問われます。