平和は商売道具なのか(後半)
2026.06.16
前半で述べたように、戦争で犠牲になるのは若い兵士や一般国民です。
ゆえに、戦争は避けるべきなのですが、強大な敵国が軍事攻撃してきた場合は、どうするのか。
平和を商売道具にしている方々の思考は単純なようです。
侵攻してきた相手に対し「戦争はいけないよ」と説得することに尽きるようです。
しかし、相手が納得しなければ、黙って殺されるか奴隷になるしか道はないわけです。
16世紀、南米で繁栄していたインカ帝国は、わずか160名のスペイン軍によって滅ぼされました。
スペイン軍は皇帝に謁見中、いきなり皇帝を人質に取りました。
そして、宮殿の衛兵たちに「武器を捨てろ、さもないと皇帝を殺す」と脅し、武器(といっても槍や刀だけでした)を捨てさせました。
さらに皇帝解放の条件として莫大な金銀財宝を要求しました。
平和だったインカの人々は、それで皇帝は解放されると思ったようですが、すべてを手に入れたスペイン軍は、皇帝を殺し、インカの人々の虐殺を始めました。
壮麗な文化を築いた帝国は、たった160名の重武装のスペイン軍によって、この地球から消え去ってしまったのです。
近代でも、同様の例は枚挙に暇がありません。
ウクライナ戦争において、無抵抗でロシア軍に蹂躙され、惨殺されたウクライナの人々の悲劇はつい最近のことです。
ロシアに連れ去られた子供たちのことを世界は忘れかけているが、彼らの中には将来、故国ウクライナを攻める兵士に仕立て上げられる子供がいる可能性を考えると、その悲惨さには言葉がありません。
今の中国を、平和を希求する国家だと主張する人は少数派でしょうが、皆無ではありません。
中国は、2500年後の現代でも通用する「孫子の兵法」を生んだ国であり、卓越した戦略思考を育ててきた国でもあります。
習近平主席に、そうした聡明さはまったく感じませんが、幹部には優秀な者が大勢います。
願わくは、彼らが孫子の思想を正しく解釈し、無意味な侵略戦争を起こさないで欲しいと考えます。
しかし、現在の中国が侵略を諦める可能性はほぼゼロです。
平和団体に所属する人たちがすべてそうだとは言えませんが、「平和」を商売道具にしている人や団体もいます。
他に収入や資産をお持ちで、本当にボランティアで活動されている人が私の知人にもいます。
それは確かに崇高な意思で尊敬しますが、その一方で、平和活動を商売にしている人や団体がかなりあることも事実です。
でも、彼らも人間ですから「霞を食べて生きる」わけにはいきません。
なので、合法の範囲内であれば、何も言えません。
私の学生時代、学生運動の嵐が吹き荒れ、一時、全国で8割の大学が休校状態となりました。
私が通っていた大学も例外ではなく、暴力も起きていました。
あの運動も最初は「平和」や「民主」を唱えていましたが、やがて暴力の萌芽が見られるようになってきました。
中心にいた学生たちは「平和のためなら暴力行為も許される」という矛盾する理論を正当化するようになり、犯罪行為や暴力に走っていきました。
家でテレビを観ていた時に「内ゲバ殺人で指名手配」というナレーションとともに高校時代の友人の顔が画面に映ったときの衝撃は忘れることができません。
正義感の厚い人間で平和の大事さをよく語っていましたが、どこかで裏返ってしまったようです。
「平和」という言葉は「戦争」と同等に危険な言葉なのです。
ここまで人生を歩んできて、トルストイが「戦争と平和」で語りたかった意味を考えるようになっています。
戦争と平和も「二律背反」の典型的な事例なのですね。

