長崎市長の判断の是非は?

2024.08.20


8月9日の「長崎原爆の日」に長崎市長がイスラエル大使を招待しなかったことで、米国や欧州の有力国が不参加という事態になりました。
市長の鈴木史朗氏の念頭に、中東ガザ地区で侵攻を続けるイスラエルに対する忌避があったと思われます。
個人の感情に物申すことはできませんが、被爆市の市長という公的な立場からは特定の国を排除するという決定は残念です。
こうした排除が正当化されるとしたら、原爆投下国の米国がまず排除されることになります。
米国は、公式には原爆投下を「誤った決定だった」とは、現在に至るまで表明していません。
しかし、私は過去より現在、そして未来を重視する考えなので、こうした米国の姿勢を非難する考えはありません。
 
ロシアは、ウクライナ戦争において、現在も核兵器使用をちらつかせています。
その意味でロシアを原爆の日の儀式から排除することはやむを得ないと考えます。
ガザ地区での戦闘の犠牲者が4万人を超えたことは痛ましい事実ですが、ハマスによる民間人の刺殺や拉致が引き金になっています。
また、核兵器を持っていると言われているイスラエルですが、公式には認めず、今回も使用には言及していません。
 
広島、長崎は、核兵器の使用に対する歯止めの存在です。
両市の市長は、その一点に絞っての発言に徹するべきと思います。
今回のように中東の戦争にまで言及してしまうと、賛否両論となり、被爆市の意味は薄らいでしまうように感じて、とても残念です。
 
あと10年も経てば、原爆の記憶を持つ被爆者の多くは他界してしまいます。
語り部の伝承があっても、当時の記憶は次第に風化していきます。
私が初めて原爆ドームの前に立ったときは、なんの修復もされていない被爆当時のままのドームでした。
そのとき、心に生じた衝撃は、それまで感じたことの無いものでした。
「この場所の時間は、あの時で止まったままだ」と、過去の現実を眼前に見るデジャブ(既視感)に襲われました。
しかし、修復されたドームを訪れたとき、最初の時の衝撃はほぼ消えてしまっていました。
風化を防ぐことは困難との思いだけが残りました。