反撃能力の保有は、専守防衛と矛盾するか?
2023.01.15
【国際・政治】2023
「専守防衛」は、純軍事的な意味では特殊な戦略概念です。
公式に唱えている国は世界で日本だけでしょう。
防衛白書では、以下のように明記されています。
「相手から武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使し、その防衛力行使の態様も、自衛のための必要最低限度にとどめ、また保持する防衛力も自衛のための必要最低限度のものに限られる」
これを狭義に解釈すると、「自国が武力攻撃を受けた時に『自国内でのみ武力を行使する』」ということになります。
つまり、「戦場は自国内だけに限定」され、犠牲となる市民も自国市民だけということになります。
まさに現在のウクライナであり、どこか割り切れない思いがするのは、私だけでしょうか。
また、攻めてきた敵の撃退にしか武力行使ができないとなると、攻めてきた敵国の軍事力より自国の軍事力が上回っていない限り、防衛は不可能という理屈になります。
でも、日露戦争のように、軍事大国に勝つこともあるではないかと言われるかもしれませんね。
しかし、日露戦争は、ロシアから見れば、全面戦争ではなく、極東における辺境戦争でした。
対する日本は、軍事力を特定地域に集中させた局所勝利を積み重ねた上に“表”の外交、さらには“裏”の外交を絶妙に組み合わせて勝利(というよりは、有利な条件での講和)を得たのです。
実際、日本軍の損耗は激しく、皇居守備の近衛兵団の一部まで動員しての薄氷の勝利でした。
当時の国民は「大勝利」と浮かれ、マスコミは「モスクワまで進撃しろ」などと無責任に煽りましたが、日本軍は人員、物資とも補給が尽き、もう一歩も前進できない状態でした。
小説「坂の上の雲」でも描かれていましたが、前線を指揮した児玉源太郎参謀総長に対し、当時の陸軍大臣・大山巌が奉天会戦に勝利した後に言った言葉が象徴的です。
「ここからは、おいどん達、政治家の出番じゃ」
実際、当時の明治政府は、激しい消耗戦を戦いながら、海外からの資金調達やロシアの革命勢力への支援、さらに米国を仲介役とする講和交渉を必至に続けていたのです。
軍事的勝利をうまく講話に結びつけた総力戦の勝利でした。
日露の講和条約が米国のポーツマスで締結されたことが、そのことを物語っています。
しかし、それから118年後の世界は、政治、軍事とも複雑さを増しています。
核兵器の誕生は、大国どうしが第二次大戦までのスタイルで戦争することを抑止する効果がありました。
核廃絶を訴える人々は、こうした解釈を非難するでしょうが、厳然たる事実です。
キューバ危機は、米ソ両国が核大国であったから回避されたと言えます。
現在も世界各地で続く戦争は、「核兵器を使わない」という大前提があって行われています。
もし、ロシアがウクライナで核兵器を使用すれば、その大前提が崩れることを意味します。
そして、その時はもう間もなくかもしれないのです。
また、もし、ウクライナが核兵器保有国であったなら、プーチン大統領は、この侵攻を決意したでしょうか。
おそらく、出来なかったでしょう。
嫌な解釈ですが、核兵器保有こそが最も効果的な「抑止力」であることは認めざるを得ないのです。
その意味では、北朝鮮が核を持つのは当然といえます。
ただし、駄々っ子が銃を持って脅している構図ですから危なくて仕方ないのです。
しかも、保護者の中国が、叱らずに、むしろ、その状況を利用しているのですから、ほとんど暴力団の構図です。
もちろん、日本の反撃能力保有は、核兵器保有を意味していません。
政府が昨年の12月16日に改定した国家安全保障戦略では、こう述べています。
「平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらない」
明記はしませんでしたが、核兵器を除く敵基地を叩くための攻撃能力を備えることを宣言し、反撃能力の保持は「専守防衛の中に含まれる」と宣言したわけです。
でも、世界は、日本が核兵器を持つのは時間の問題とみています。
問題が大きいので、この話題、次号に続けます。