同性婚を認めないのは、憲法違反か否か?
2024.12.18
先日、福岡高裁で「同性婚を認めないのは憲法違反」の判決が出ました。
これまでも、東京高裁などでも同様の判決が出ていますが、最高裁での判決例はまだありません。
私は同性婚の是非について論じるだけの見識を持ち合わせていないので、法解釈だけについて論じたいと思います。
婚姻について憲法では、24条第1項に以下のように規定しています。
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」
ここに書いてある「両性」は、明らかに生物学的な性、つまり男と女を意味しています。
原告側は、ここで争うことはできないとして、第13条を持ち出しました。
13条は、以下の内容になっています。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
同性婚を認めないのは、この「幸福追求の権利に抵触している」として違憲だという主張です。
こうした条文論争は、専門の法学者でも難しく、乱暴に言えば「どんな解釈も成り立ってしまう」ということです。
そもそも、今の憲法が制定された78年前は、同性婚のことは想定外だったことは確かです。
また、憲法は日本が向かうべき大きな指針を示しているだけで、個別問題はその下の六法で規定されることになっています。
ゆえに、本来、裁判所では扱えない問題といえます。
扱えるとしたら、最高裁判所だけです。
最高裁は、そもそも憲法違反を扱う裁判所だからです。
ゆえに、憲法ではなく、民法で争うべき問題と思いますが、民法には、以下の規定しかありません。
(1)結婚適齢に達していること、(2)重婚でないこと、(3)近親婚でないこと、(4)直系血族又は3親等内の傍系血族ではないこと、(5)未成年者の場合は、父母の同意を得ていること。
同性婚の是非に繋がるような規定はありません。
つまり、現在の民法には根拠となる条文は見当たらず、憲法13条は、当たり前すぎて、どうとも解釈できるような条文です。
ということで、この問題は裁判(司法)で争うべき問題ではなく、国会(立法府)で「法改正の必要がある/ない」から始めるべき問題だと思います。
こうした問題が起きるたびに感じるのは、日本人の自虐思考の強さです。
これは、訴える人のことではありません。
実名で訴える人は、自虐思考の薄い強い人です。
そうではなくて、こうした問題に対する一般の日本人の思考傾向のことです。
自虐思考の強さが「弱者のほうが正しい」と盲目的に思う心境に繋がります。
弱者保護は大切なことですが、弱者の言い分が常に正しいと思い込むことは危険です。
つまり、水戸黄門思考に陥り、「強面の代官は常に悪く、可憐な町娘は常に善」という思考で、日本人に典型的な思考だといえます。
弱者に寄り添う姿勢は大事ですが、盲信は危険です。
同性婚の問題は、まず国会で議論すべきです。
それが法治国家の大原則のはずです。
いきなり裁判に訴えて「大岡裁き」を引き出すことが解決ではありません。
立法府が動かなければ、何の解決にも繋がらないと思うのです。