2015年8月15日号(国際、政治)

2015.08.15

HAL通信★[建設マネジメント情報マガジン]2015年8月15日号
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               発行日:2015年8月15日(土)
 
いつもHAL通信をご愛読いただきましてありがとうございます。
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          2015年8月15日号の目次
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☆安部首相の談話
☆戦争と平和(その8):中国の戦略を読み解く
☆戦争と平和(その9):日本の採るべき道
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こんにちは、安中眞介です。
本号は国際問題、政治問題の号です。
 
本日は、70年目の終戦の日です。
「終戦記念日」という言い方もありますが、「記念」という言葉に違和感があって、あまり使いたくありません。
2つの世界大戦では、全世界で5000万人とも6000万人と言われるほどの多くの人が犠牲になりました。
このあまりにも多くの犠牲を前にして、ようやく人類は戦争の愚かさを悟りました。
しかし、戦後70年の間も世界では戦火が絶えず、犠牲者も出続けています。
その中にあって、日本では奇跡的な平和が続き、戦死者も出ていません。
でも、「だから、この平和を維持すれば良いのだ」と、一国平和主義の中に閉じこもっていて良いのでしょうか。
これからの日本が歩むべき道を、もっと広く真剣に考えなくてはならないと思います。

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┃☆安部首相の談話                      ┃
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14日に、安部首相は「戦後70年の談話」を発表しました。
これまでの談話に比べると、ずいぶん長文になったなと思いましたが、それだけ熟考を重ねた結果だと思います。
安部首相としては、過去の談話を単に踏襲するのではなく、これからの日本の指針の一つとなるような談話を自分自身の意思で発表したかったのだと思います。

案の定、村山元首相が批判を繰り広げていますが、自分の談話をそのまま踏襲しなかったと言って批判することは大人げない態度です。
まるで、引退した元社長が若い社長にいちゃもんを付けているようで、「見苦しい」とさえ感じました。

談話の内容自体は、及第点を付けても良いと思います。
文章の一部に苦しい言い回しが残っていたことは残念ですが、致し方ないところです。
この難しい情勢の中、国民にも諸外国にも納得してもらうという無理があります。
私が予想した内容とはずいぶん違っていましたが、官邸の苦労が感じられる談話だと思います。

野党や安保法案に反対している人たちからは否定的な意見ばかり出ていますが、予想されたことです。
おそらく、どんな談話を発表しようと、この人たちは批判したと思いますので、第三者としては参考になりません。
いつまで、このような不毛な状態を続けようと言うのでしょうか。
彼らは、口を開けば「若者を戦場にやるな」とか「戦争反対」と、同じフレーズを繰り返します。
私と同年代が多いのですが、友人や知り合いの中にも、そのような意見の持ち主は結構います。
話をしていても噛み合わず、ついには、彼らは「とにかく安倍がキライだ!」とかの意味のない結論を出し勝ちです。
これらの「後の続かない」言葉は、話し合いの拒否、そして思考停止の言葉です。
友人や親しい人から、これらの言葉を聞くと悲しくなります。
話し合いを打ち切って人の言葉を聞かないことがもたらす結果は「出口のない対立」です。
国家どうしがこの状態に陥ることが戦争への引き金になることを、過去の歴史が教えています。
彼らは、平和を希求している割には、粘り強く話し合うことを拒否し、デモなどの実力行使に出ることで自分の考えを押し通そうとします。
言論の自由のない国で、国民がデモなどの行動に出ることはよく理解できます。
かって、西欧の多くの国では、国民が銃を取って立ち上がり、今に続く国家を建設していきました。
しかし、今の日本は民主主義国家です。
実力行使ではなく、実のある言論での討論ができるはずです。

今回の談話の内容は一読しましたが、まだ深いレベルまでは読み込んでいません。
次回は、読み込んだ上で、私の意見を述べようと思います。

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┃☆戦争と平和(その8):中国の戦略を読み解く        ┃
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「習近平国家主席は、戦争をしたがっているのか」という根本的な問を考えた場合、
私は「NO」と断言する。

しかし、「戦争はしない」とも思っていない。
「戦争をする/しない」を秤に掛けて、「今は戦争できない」と冷静に考えているようである。
この「今は・・」が永遠に続くのか一過性なのかの判断は難しいが、「当面は戦争できない」と思っていることは確実であろう。

中国が戦争を仕掛ける可能性があるのは、尖閣の奪取と台湾侵攻である。
南シナ海のほうが危険なように思えるが、周辺国との圧倒的な力の差を考えれば、軍事力を見せつけながら、埋め立てなどの別の実力行使で、南シナ海の内海化を狙っていく戦略であろう。

しかし、中国の上記の戦略は、尖閣と台湾には効果がない。
ASEAN諸国に比べ、日本および台湾は、はるかに軍事大国だからである。
中国が軍事力を見せつけるだけで押し切れる相手ではないのである。
その上、後ろに米国が控えている。
日本および台湾への軍事行動は、米軍との交戦を招く公算が非常に大きい。
中国がその危険を犯すことはないと断言できる。

そのかわり、硬軟様々な手で、日本や台湾と米国の間に亀裂を作ろうと画策してきた。
しかし、台湾においては、親中派の馬政権が次の選挙での敗北が確実視されているように、中国の戦略は失敗し、戦略の再構築が必要になってきている。
また、日本が集団的自衛権の行使容認に方針転換したことは、中国にとっては痛手である。
尖閣の奪取は、当面は棚上げにされたようである。

それどころか、日本で安保法案の成立が確実になってきた事実は、中国にとっては相当に重たいといえる。
つまり、南シナ海においても、日米両国を相手にするという事態が現実味を帯びてきたからである。
中国の海洋戦略に大きな狂いが生じたのである。

ここで、習近平主席が掲げる「中国の夢」という概念を考えてみた。
かって中国は、秦の始皇帝から始まって、漢、晋、隋、唐、宋と栄華が続き、世界に冠たる漢民族の大帝国となった。
しかし、その後、遼、夏、金、元と、北方民族に支配され、漢民族の苦渋の時代が続いた。
ようやく、1368年に朱元璋が明を立国、再び漢民族が覇権を取った。
明の時代は長く続いた(日本では、鎌倉時代から徳川幕府初期までの間)。
しかし、再び、北方民族の後金、清の支配となり、20世紀前半まで続く。
その後に、中華民国そして中華人民共和国となったのであるが、習近平総書記の「中国の夢」とは、どの時代の再現を考えているのであろうか。

私の一方的な意見を言わせてもらえば、7~10世紀にかけての唐の時代、あるいは14~16世紀の明
の時代を想定しているのではないかと思う。
その時代の中国は世界のGDPの3割を占め、西洋を大きく凌駕する国家であった。
その時代の中国に戻りたいということなのだと思う。
そして、アヘン戦争、日清戦争の敗北から始まった19~20世紀の屈辱を晴らし、失った権益を取り返し、米国を凌駕する国家とならんという夢なのであろう。

次回は、習近平主席が描く「中国の夢」の実現の具体策について述べたいと思う。

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┃☆戦争と平和(その9):日本の採るべき道          ┃
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前節で述べた「中国の夢」に対し、今後、日本はどのような戦略を練っていくべきなのかを解説する。

日本国内では、集団的自衛権によって日本が戦争に巻き込まれる恐れが強くなったといって反対論が根強い。
それはその通りである。
しかし、一方で、集団的自衛権によって東シナ海同様、南シナ海においても中国が戦争を仕掛けられなくなったとも言える。
つまり、集団的自衛権で日本の危険は増すが、アジアの平和には寄与できるということである。
問われているのは、これからの日本の姿勢である。
日本は、これまで通りの「一国平和主義」に閉じこもるべきなのか、それとも、アジア(ひいては世界)の平和への寄与を重んじていくべきなのかの分水嶺に立っているのである。
そして、安保法案への反対は、「一国平和主義」に閉じこもる道の選択なのである。

一方の安保法案への賛成は、それはそれで厳しい道である。
かっての大戦へと進んでしまった苦い過去を反省し、そうならないための政治の仕組みおよび国民の啓蒙が必要であろう。

苦い過去を反省する上で、最も重要な要素は、次の三点である。
第一に、中国との経済および人的交流を増やし、両国を運命共同体に持っていくこと。
これが戦争の危険を緩和する方策であることは、誰でも分かるであろう。

第二に、国家人事を硬直させないこと。
かっての戦争を導いたのは、ほんの一握りの軍人たちであった。
それも、主役はわずか4~5名の中堅将校(大佐、中佐クラス)である事実に驚かされる。
エリート主義、年功主義の軍部人事と、それを防ぐべき国家機構が未熟であったことが主たる原因である。
残念ながら、今の日本人の大半は、このことが分かっていない。
単に「戦前の日本は悪かった」で終わって、それ以上深く考えようとしない。
その結果、この人事硬直の反省もなく、A級戦犯に全ての罪をかぶせ、終わらせてしまった。
かの戦争と同じ轍を踏む危険は、戦前と同様にあると言わざるを得ない。

そして、第三は、戦争の仕方を学ぶことである。
誤解しないでいただきたいのは、「戦争の仕方」とは「実力行使の仕方」ではない。
「戦争を回避する仕方」である。
その核になるのは、情報収集能力と情報分析能力にある。
したがって、この2つの能力を磨き抜き、実効を上げることである。
軍事的実力行使は、本当に最期の手段として、「いつでも可能」と相手に思わせておくことが肝要である。

私は、安保法案に賛成の立場であるが、日本が上記の三点を確実に実行できるかについては、はなはだ疑問に感じている。
ならば、法案に反対するのが筋なのだが、以下のように考えたのである。

停滞するより、前進すべきである。
故に、「やってみれば良い」。
やって、ダメだったら、変えれば良い。
民主主義国家は、やってみるリスクが少ないことが最大の利点なのだ。
反対勢力が、安部首相を独裁者呼ばわりすることは間違えている。
国民は、いつでも首相の首をすげ替えることが可能だから。
絶対反対派が覇権を握るほうがよほど怖いと思う。

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<編集後記>
8月になると、年中行事のように、特攻、原爆、終戦と、判で押したような報道が続きます。
30年前から、これに御巣鷹の日航機墜落が加わり、超ワンパターンの半月間となりました。
戦後70年を節目に、上記のワンパターンを止めにし、お詫びの談話も止めにし、新しい時代へ向かうことを主にした報道にして欲しいし、国民も気持ちを切り替えるべきだと思います。
軍人だった私の父も他界し、戦前を知る親戚もずいぶん少なくなりました。
10年もしたら、大半の人達はいなくなります。
その人たちに、戦争の呪縛を負わせたままで良いのでしょうか。
間違っていたかもしれませんが、みな、家族を守るため必死に戦ったのです。
その呪縛を解いてもらうためにも、自虐ではなく、これからの日本を希望を持って信じられるような施策に転換すべきと考えます。
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