2018年5月31日号(経済、経営)
2018.06.19
HAL通信★[建設マネジメント情報マガジン]2018年5月31日号
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発行日:2018年5月31日(木)
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2018年5月31日号の目次
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★日大アメフト問題は、「輪切り世代」を象徴する出来事
★国は本気、でも、業界は精一杯
☆戦艦大和建造は、壮大な無駄使いか、意味ある公共事業か
★銀行が危ない?
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こんにちは、安中眞介です。
今号は経済、経営の話題をお送りします。
米朝会談の行方に世界の注目が集まっていますが、二人の奔放な指導者の不規則発言に、株式市場も振り回されています。
近代経済はガラス細工のように脆(もろ)くなっているのでしょうか。
少数の国の政治や軍事情勢に負けない強い経済を作るため、各国は協調を旨とした世界経済を作るべきです。
そこに日本の役割があると思うのですが。
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┃★日大アメフト問題は、「輪切り世代」を象徴する出来事 ┃
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日大アメフト選手の反則行為が大きな問題になっています。
マスコミやネットでは、相手選手を「つぶせ」と命令した日大の監督やコーチを非難する声で溢れています。
たしかに、映像を見る限り「信じられない」酷い反則であり、その後の日大側の対応のひどさに弁明の余地はありません。
しかし、別の観点からこの問題を考えてみました。
日大の監督は62歳、直接指示したコーチは30歳、当該選手が20歳という世代間のズレです。
3世代に渡るコミュニケーションの難しさを痛感させる出来事といえるのではないでしょうか。
当該選手に対し、日大の監督やコーチから、相手のQB(クオーターバック)を「つぶせ」との指示があったのは確かなようです。
反則を犯した選手が気持ちのやさしい人間であることは、謝罪会見から見て取れます。
しかし、そのことが指導者側からみたら、その選手の弱さにつながっていると見えたのでしょう。
それが、「つぶせ」という悪質な指示につながったといえます。
かつ、狙った相手の選手はQBというゲームにおける司令塔です。
監督やコーチの気持ちの中に、相手QBが怪我して離脱するなら「なお良い」との認識まであった可能性も否定できません。
しかも、指示された日大の選手は、自身がレギュラーから外される瀬戸際に立たされていたのです。
正常な判断能力を失い、「QBをつぶす」ということだけに意識が集中してしまったのだといえます。
そうでなければ、あの異様なタックルは説明がつきません。
そこにあるのは、監督、コーチ、選手の三者間にある世代間のコミュニケーション・ギャップです。
このような今の時代に「つぶせ」という過激な言葉が危険だという認識が指導者側には決定的に欠けていたのです。
「輪切り世代」とは私の造語ですが、20年ぐらい前から感じていたことです。
現代の若い世代は、同年代との付き合いは好みますが、世代を超えた付き合いは苦手です。
結果として、同年代とは“あうん”の呼吸で意思が通じ合うが、世代が異なると意思が通じず、コミュニケーション・ギャップを起こすのです。
大学の講師をしていた時の話ですが、学生たちのこんな会話が聞こえてきました。
「今の若いもんは、何を考えているのか、わかんねえよ」
そこで、私は聞きました。
「君たちのいう“若いもん”って、高校生のこと?」
彼らは、笑って答えました。
「違いますよ。2年生ですよ」
私は、言葉を失いました。
彼らは3年生だったからです。
1学年、学年が違うだけで「若いもん」と言い、その後輩たちの考えが理解できないというのです。
つまり、彼らは「輪切り」状態になっていて、1年間という同じ輪の中でしか意思の疎通ができなくなっていたのです。
極端な例かもしれませんが、あの頃から、確実に世代間のコミュニケーションが難しくなっていたと思うのです。
こうしたコミュニケーション・ギャップを埋めるためには、上の年代が丁寧な物言いをし、何度でも言葉を変えながら、若者がどう理解したかを確認していく必要があるのです。
「面倒くせえ」と思うでしょうが、そういう時代なんだと認識するしかありません。
この問題、企業の中でもひんぱんに起こっている現象なのではないでしょうか。
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┃★国は本気、でも、業界は精一杯 ┃
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4月28日の鹿児島建設新聞の一面に、表題の記事が掲載されました。
現場の残業規制や週休2日の実現という「誰もが反対しづらい」流れに対し、地方の建設会社が置かれている厳しい現実を、ありのまま指摘した内容でした。
この指摘のとおりだと思うのです。
国交省は業界に働き方改革を強制(?)する前に、「発注の平準化」という大前提を全発注機関に強制させるべきなのに、そのトーンは弱い。
トーンが弱いのは当然です。それには公共機関の予算執行のあり方を根本から変えなければならないという大きな障壁が横たわっているからです。
端的に言うと、年度予算をオーバーすることも余すことも許されない体質がある限り、発注の平準化は難しいのです。
工程や施工内容が計画通りに進行する工事など、厳密な意味では皆無です。
しかし、現在のあらゆる制度は、すべてが計画どおりに推移しなければいけないことが前提となっています。
この意識は、民間工事においても変わりありません。
私が所属していた建設会社で、こんなことがありました。
担当した工事で、正直な進捗報告をしたところ、工務管理部から「困る」と言われたことがあります。
「当初計画からプラスマイナス5%以内の変動に収めてくれ」と言うのです。
「しかし、これが事実だ。事実を変えろ、つまり“ウソの報告”をしろというのか」と抗議したところ、
「そうは言っていない。『5%以内に収めてくれ』ということだ」と、会話になりません。
若かった私は「そんな進捗報告なら現場が書く必要はない。工務で勝手に書いてくれ」と言い放ち、進捗報告の修正を拒否しました。
その後、私は上司に呼ばれ「工務に逆らうな」と叱責を受けました。
やがて管理職になった私は、逆な意味で苦しむことになりました。
仕事が出来る部下ほど、強制しないのに残業も休日出勤も止めようとしないのです。
私には、かつての自分と同じことをする部下を止めることはできませんでした。
私は、労基署から会社を守るため、自己責任で、出勤簿の改ざんを繰り返しました。
彼らの収入の減額分は、別のやり方で補填していましたが、こうした行為はすべて違法であり、会社の規則の逸脱でした。
苦しんだ挙句、最終的に、40代前半で私は会社を去る道を選びました。
こうした空気は、今でも残っていると思うのです。
今度の働き方改革法案が通れば、違反は法的に処罰されることになります。
かつての私以上に追い詰められる管理職や経営者の方が増えることが危惧されます。
それでも、野党はこの法案でも甘いと言い、もっと厳しくすべきと声高に叫んでいます。
事実より建前が重視される、こうした日本の文化を変えない限り、多くの現場は違法状態となる恐れがあり、工事責任者や経営者が犯罪者になる危険が増すのです。
これを「働き方改革」と言うのでしょうか。
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┃☆戦艦大和建造は、壮大な無駄使いか、意味ある公共事業か ┃
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老若男女を問わず「戦艦大和」を知らない日本人はほとんどいないでしょう。
大和は、戦後70年以上を経た今日でもなお「世界最大の戦艦」です。
もっとも、「戦艦」という戦闘艦自体がその後建造されることはなくなったので、大和が世界最大であり続けるのは当然といえますが・・
その大和の建造費は、諸説ありますが、現代の貨幣価値だと3000億円ぐらいと言われています。
海戦の主役が戦艦から航空機に移った時代背景もあって戦果はほとんど挙げられず、大和建造は「壮大な無駄使い」と言われてきました。
その一方で、近年「あれは、公共工事だったのだ」という声が出てきました。
大和の同型艦は、航空母艦に改造された「信濃」を含めて3艦ですから、1兆円近い大事業です。
たしかに大型公共工事といえますね。
とかく軍事的な見方しかされない「大和」ですが、別の観点から分析してみると違った側面が見えてきます。
まず、技術面から見てみます。
先進的な技術が随所に取り入れられていますが、「大和オリジナル」といえるものはありません。
46cmという世界最大の主砲にしても、大きさを別にすれば、「世界初」というだけの技術はありません。
また、画期的といわれる、造波抵抗を軽減する船首水面下の「バルジ」と呼ばれるふくらみも、オリジナルはドイツといわれています。
ただ、そうした先進技術を実にバランスよく装備した点が大和の先進性です。
46cmの主砲9門が一斉に火を噴くときの衝撃はすさまじく、当時は10万トン以上の艦体が必要といわれていました。
それを7万トンあまりのコンパクトな艦体に納めるというバランス設計こそ日本の技術であり、今日まで受け継がれている技術なのです。
「7万トンがコンパクトかい?」と言われそうですが、10万トン必要と言われていたことを思えばコンパクトと言えるのではないでしょうか。
そうした先進技術の集大成という点で、大和は「意味のある公共事業だった」といえるかもしれません。
しかし、経済の面からみると、当時の国家予算(現代換算で55兆円ぐらい?)上の負担に見合う効果はあったのかという疑問はあります。
戦争末期の最新鋭戦闘機は1機1億円(今の貨幣価値での推測)ぐらいですから、1万機製造できたことになります。
1万機の戦闘機のほうが、戦争における貢献度は高かったのは確実でしょうから、壮大な無駄使いであったことは否定できません。
しかし、そう単純に無駄だったとは言えないことがあります。
戦争当時の日本国民は、大和の存在を知りませんでした。
その存在は徹底して秘密にされていたからです。
国民が、大和の存在を知ったのは戦後であり、すでに大和は海の底でした。
しかし、敗戦に打ちひしがれていた国民にとって、世界最大の戦艦を作ったという誇りは一筋の希望の光となったのです。
その後も、映画になり、アニメになり、宇宙戦艦にまでなって、今も日本の誇りのひとつとなっているのです。
その経済効果のほどは計算していませんが、まったくの無駄と言い切れないことは確かです。
そういえば、お隣の「万里の長城」も無駄使いの典型のように言われますが、観光資源としての価値、および大国としてのイメージアップを考えると、そうは言えないのかもしれません。
何事も、短絡的な判断はできないということですね。
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┃★銀行が危ない? ┃
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日銀が2年前に行ったマイナス金利政策は銀行の業績を悪化させ、メガバンク3行にりそな、三井住友トラストを加えた5大銀行グループの今年3月の決算は、業務純益ではすべてのグループがマイナスとなり、前年比でなんと3割減でした。
その間、企業の内部留保は100兆円増えて400兆円を超え(2016年度末)、多くの企業はもう銀行からお金を借りる必要がなくなっています。
(弊社はそうは言えませんが・・)
住宅ローンも、超低金利になり、高い金利のローンを低い金利に借り換えことが増え、銀行の利ざやは減少する一方です。
どんなに日銀が国債を買い上げ、現金を銀行に流しても、運用先がないので市場には回らず、そのお金は日銀の当座預金に預けられるというショートサーキットを起こしています。
そこで、日銀が「これ以上日銀の当座預金にお金を預けたら、預かったお金の金利はマイナス0.1%にするよ」というマイナス金利政策を始めたのが2年前。
お金を預けると逆に利息を取られるのですから、さすがにこれ以上預ける銀行はないだろうと日銀は思ったのですが、なんと今年3月1日現在の日銀の当座預金残高を見ると、2年前よりも100兆円も預け入れが増えているのです。
銀行は、お金が運用できないので、損を覚悟で当座預金にお金を預けざるをえないところまで追い詰められているのです。
金貸し商売の根幹だった「お金を貸して、そこから利益を得る」というビジネスモデルが壊れてしまったということなのです。
結果、儲けられない銀行は、人員削減というリストラに踏み込まざるを得なくなっています。
すでに、みずほ1万9,000人、三菱UFJは9,500人、三井住友は4,000人のリストラを発表しています。
大銀行は、ビジネスモデルの大転換を行わないとジリ貧の道をたどっていくでしょう。
これに対し、地方銀行や信用金庫などは、融資先の事業性や将来性の見極めなど、金融機関が本来のやるべきことを地道に掘り下げていくことに活路を見出すべきです。
日銀は、すでに日本国債の4割を保有し、日経225企業の4分の1の企業の筆頭株主になっています。
その日銀が、もし「マーケットから撤退する」といううわさが流れたら、それだけで市場は大混乱になる可能性があります。
日銀は、市場から撤退できない、「あり地獄」のような泥沼に追い込まれているのです。
一方、不良債権の処理をして身軽になり、内部留保という貯金を山ほど持つことで、日本の企業(特に大企業)の財務体質は飛躍的に改善しました。
また、家計は、景気浮揚のための国策である住宅ローン控除の拡大や住宅金融公庫の大盤振る舞いで、多くの人が家を買ったことにより、負債額が増えています。
さらに、給料の上昇が少ない中、社会保険料や税金は増え、教育費の増大などが重なり現金を減らす一方になっています。
来年の消費税増税が、こうした家計のダメージになるのは確実といえます。
国会で最優先すべき議題は、こうした経済問題の打開策です。
「堂々巡りのモリカケはもう打ち切り、国会本来の仕事に戻れ」と言いたいです。
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<編集後記>
著名な女性経済評論家が「実は同性愛者です」と、相手女性とのツーショット付きで告白しました。
個人的なことなので、良いも悪いも無いのですが、正直言って妙な違和感を覚えました。
それは、「どうして、わざわざ告白するのか?」という違和感です。
誰と一緒に住もうと別れようと、それは個人の自由であり、当事者同士の問題です。
たとえ有名人でも同じです。
もちろん、そんなことが分からない方ではないと思うので、違和感を覚えたのです。
結局、「黙っていられなかった」ということなのでしょうが、有名人と言われる方々に共通している感覚なのでしょうね。
「見られたい」、「知って欲しい」、「注目して欲しい」ということだと思いました。
まあ、どうでも良いことなのですが・・