日本の世界における役割とは?(3)

2024.04.16


「日本の世界における役割」を考える上で肝心なことは、まず日本をどのような国にするのかという基本を決めることにあります。
それは、現行憲法が掲げる非武装の平和国家でもなければ、強大な軍事国家になることでもないということです。
「結局、どっちつかずの中途半端な国家像だな」と言われそうですが、「ゼロか百か」という結論を出すべきではないと言いたいのです。
 
私は、古来、日本人が信奉してきた武士道に、日本が向かう道があると考えています。
ただし、新渡戸稲造が外国人である奥さんのために書いたと言われる「武士道」ではなく、個人の武士としての心の置き方を説いた佐賀藩の「葉隠れ武士道」が近いといえます。
 
武士道といえば剣法が思い浮かびますが、前者は「心の置き方」、後者は「その具現化した手法」であり、表裏一体のものです。
剣法の形ができたのは、室町末期から戦国時代にかけてといわれます。
刀は殺傷能力を持つ武器ですが、ドラマとは違い、戦争における主要武器ではありませんでした。
室町時代までの戦場における主要武器は、弓と薙刀(なぎなた)でした。
それは当然です。
遠方から攻撃できる弓矢は最大の武器でしたし、近接戦においては刀より長さのある薙刀が有利なことは誰が考えても明らかです。
やがて、振り回す薙刀より一直線に突く槍の有効性が認められ、槍が弓と並んで主要武器となりました。
戦国時代の優れた武将を表す俗称が「東海一の弓取り(今川義元)」とか「槍の又左(前田利家)」、「賤ケ岳七本槍(加藤清正ら)」のように、弓と槍がついていることからも分かりますね。
 
つまり、刀は戦場における武器としては使い物になっていなかったのです。
刀剣は、芸術的な美と独特な存在感により、武功のあった者への褒美、および神社への奉納品として扱われました。
三大剣法のひとつといわれる鹿島神道流が鹿島神社を発祥の地としていることが、そうした経緯を物語っています。
その後の江戸時代は、鎧を付けない「一対一」の決闘が主になったことで、携行しやすい刀剣が主要武器となったのです。
 
剣豪として最初に名を馳せたのは、鹿島神道流の塚原卜伝です。
「陰流」は、それを源流とする「新陰流」の時代に、柳生十兵衛などでおなじみの剣法として、現代まで語り継がれています。
「中条流」は、伊藤一刀斎が起こした「一刀流」の源流であり、その弟子が起こした「小野派一刀流」が、こちらも柳生と並んで徳川将軍家の指南役となった剣法です。
 
ながながと剣法の話をしたのには意味があります。
これらの剣法には「奥義」と呼ばれる究極の技があり、共通した特徴があります。
それは、「攻撃の剣」ではなく「守りの剣」という点です。
自分から攻撃を仕掛けるための剣ではなく、相手から攻撃を仕掛けられたときに、それを逆手にとって相手を制圧する剣なのです。
有名な柳生新陰流の「真剣白刃取り」とか、一刀流の「隅落とし」などが、そうした奥義です。
ただし、時代劇などでは実態とは違う大げさな表現になっていますので、それは信じないでください。
 
こうした奥義の特徴は、相手が攻めてこなければ使えない技ばかりという点にあります。
まさに「専守防衛」の剣なのですが、単純に守るのではなく、攻めてきた相手の攻撃を利用し、一瞬にして相手を倒す必殺の剣法なのです。
 
荒唐無稽な話と受け取られるかもしれませんが、いずれも実在した技です。
日本が採るべき防衛とは、このような反撃能力であり、敵意を持つ隣国に対し、「攻めれば痛い目に会う」と自覚させることだと思います。
そして、こうした能力を持つ国であることを世界に示していくことが、日本の役割の一つと考えます。
 
次回は、「では、それが日本を敵視している隣国に対し効くのか」を解説します。