靖国参拝を論ずる 第5回:終戦の日に寄せて

2014.08.12

A級戦犯という国際法を無視した処罰の是正が出来たのに、それをサボってきた戦後歴代政権のつけの大きさを前号で述べた。
それが解決できていれば、中国の「A級戦犯を祀っている・・」という非難は封じられたはずである。
と、単純な解釈では済まない。
最後に、本質的な問題を論じたいと思う。

靖国問題の当事国とは、日本、中国、そして米国である。
この3カ国の政権が、それぞれに靖国を利用しているのである。
それがある限り、何をしようと靖国問題に終わりは来ない。

米国は、日中に戦争が起こる事態を避けたいと思っているが、両国間には一定の溝がある方が良いと考えている。
靖国問題で、日中双方に不信感を植え付けておくほうが良い・・が米国の本音である。

中国は、多くの方が指摘するようにとても単純である。
靖国を「日本軍国主義の復活」に結びつけることで、一党独裁による矛盾や問題点から国民の目をそらせ、不平不満の目が政権に向かないようにすることが目的である。

最後に日本だが、というより、以下は安倍首相の意思である。
日本を敗戦国の汚名から脱却させたい。
そのために集団的自衛権や憲法改正は必要条件である。
しかし、これらに対する国民の警戒心は大きい。
だから、靖国参拝で「日中間の危機」を演出して国民の警戒を解くという思惑である。

実は、3か国にとっては、靖国問題はそれぞれに「実損のない政治的駆け引き」の道具なのである。
互いに、自国の立場を損なわずに国内向けにアピールできる道具として靖国問題を使っているのである。
だから、この問題の解決策を無理に作ることは出来ないし、作る必要もない。

戦死者を弔うことは国民として当然の行為である。
かつ、日本は犯罪者でも「死ねばみな仏となる」国である。
これが日本古来の考え方であり、広く国民に浸透している考えであることを内外にアピールし続けることが必要なことと思う。