韓国の歴史を学ぶ(その6)

2018.02.02

日露戦争の開戦前、大韓帝国は「局外中立宣言」をして、日露のどちらにもつかないことを宣言しました。
しかし、日本は信用の担保を要求し、1904年に大韓帝国の国内における軍事行動を可能にするための「日韓議定書」を締結し、さらに開戦直後には「第一次日韓協約」を締結しました。
この協約は、大韓帝国にとってはかなり屈辱的な内容でした。
大韓帝国の財政および外交に顧問を置き、他国との間に条約を結ぶ場合は、日本政府と協議することとあったからです。
しかし、大韓帝国の与党である「進歩会」は、政府内に李氏朝鮮の旧体制を抱え込んだままでは国家の革新は難しいと考え、日韓合併を考えていました。
実際、日露戦争においては日本へ協力したのです。
 
ところが、李氏朝鮮の高宗や両班(りゃんぱん)勢力は日本の影響力を排除しようと、日露戦争中にロシアに密書を送るなどをしていました。
そんな中、この密使が日本軍艦により海上で発見され、大韓帝国は条約違反を犯すという大失態を演じてしまったのです。
 
日露戦争において、辛くも日本は勝利しました(実質的には停戦に過ぎませんが)。
日本は、二度の戦争によって朝鮮半島や満州からロシアの影響力を排除したのですが、肝心の大韓帝国が、また他国にすり寄る可能性があったので、「保護国」としました。
しかし、李氏朝鮮派は相変わらずロシアに密使を送るなどすることを止めませんでした。
ついには、日本国内で「朝鮮併合すべし」という意見が強くなってきたのです。
しかし、併合賛成派と反対派で日本の国論は二分され、結論を出せませんでした。
この状態にけりをつけたのが、韓国で英雄視されている安重根(アン・ジュングン)です。
併合反対だった伊藤博文を安重根が暗殺したことで日本の世論は一挙に併合賛成へと傾いたのですから、彼の行動は皮肉な結果となったわけです。
しかし、残された安重根の日記などから、伊藤博文暗殺の理由は「伊藤が明治天皇の意を汲んでいなかったから」と言われています。
 
この暗殺について、現在の韓国では、驚いたことに「韓国義勇軍による独立のための戦闘行為」と教えているのです。
思わず「どこが独立軍による戦闘行為なのか? これは個人によるテロ行為でしょ」と言いたくなります。
しかも、彼が公式に唱えていた「東洋平和論」を読めば明白なのですが、彼は反日思想に凝り固まっていたわけではなく、欧米列強に対する日中韓の連携を呼びかけていたのです。
彼は、それが明治天皇の意志であり、その天皇の意志を伊藤博文が無視しているという、誤解に基づく行為だったのです。
もちろん、現代韓国では、このことは一切伏せられています。
そうした国が日本に向かって「歴史を学べ」と叫ぶのですから、呆れます。
ただ単に日本の偉人を殺害したという理由だけで英雄視している韓国を、彼が生きていたら何というでしょうか。
 
他にも、上海で日本人2名を爆殺した尹奉吉(ユン・ポンギル)も英雄視されています。
このように、現代韓国においては日本の要人を殺害した人間はみな英雄なのです。
狂っているとしか思えませんが、このようなことが出来るのは、韓国人が日本人のことを見下しているからです。
小中華(中国の次に偉い国)の韓国人は、夷狄(いてき=下等民族)である日本人には何をやっても構わないという教えが下敷きにあるのです。
 
次回は、日韓併合後の話をしたいと思います。