第一列島線の攻防(7):最終回
2020.04.02
今回の物騒なタイトルが嫌で、読み飛ばされた方もいらっしゃると思いますが、この最終回だけは読んで欲しいと思います。
新型コロナウイルスの蔓延は、ウィルスという生物による人類に対する無差別攻撃です。
いま、各国は必死になって、この攻撃に対する防衛戦を戦っているわけです。
中国は、発生源である大都市の武漢市を封鎖したり、わずか10日間の突貫工事で大病院をいくつも作ったりしています。
人権などお構いなしに何でもできる独裁国家ゆえの強みといえるでしょう。
他方、日本は、その武漢から帰国した日本人にウィルス検査を拒否されても、検査を強制できないという国です。
民主主義国家ゆえ、人権が何よりも上位に来るからです。
例のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号の対応のまずさで、日本政府は内外から散々批判されました。
たしかに、イギリス船籍のこの船の寄港を拒否して追い返せば良かったのかもしれません。
それを「人道的に」受け容れ、かつ各国に感染者を送り返さないという人道的処置を選択したわけです。
その結果、汚染者の大量発生という泥沼に陥り、欧米から非難の嵐になってしまいました。
やはり、中国のようにすべきだったのでしょうか。
そこに正解はありません。
コロナウイルスにとっては、人種も政治体制も関係ないからです。
ひとつだけ言えることがあります。
こうした災禍に備えるためには、そうした病原菌やウィルスを徹底的に研究する機関や研究所が不可欠だということです。
つまり、それらの脅威に対抗するための防衛組織および防衛力を整備するということなのです。
私が何を言いたいのかは、もうお分かりだと思います。
護憲派を始めとする平和勢力の人々は、軍事的防衛力の整備に反対しています。
その人たちの主張は「戦争をできないようにすることが戦争をせずに済むことだ」というものです。
これを今回のウィルス禍に置き換えると「ウィルス対策をしないことがウィルスに汚染されないことだ」となります。
こんなことを言うと「人とウィルスを一緒にするな」と反論されるでしょう。
では、人はそんなに高級な生物なのでしょうか。
もし、そうだったら、人類の歴史に世界大戦のようなことは起きなかったはずです。
結局、人間もウィルスと同様の生物であり、自らを生きながらえさせることを最優先する本能が備わっているのです。
「自らが戦争を出来ないようにすること・・」は、古代中国の莊子の教えであり、「相手が戦争を仕掛けられないように、防衛に備える」は、孫子の教えです。
マキャベリや韓非子も、それに近い思想です。
どちらを取るかは、人それぞれです。