コロナウィルス禍が浮き彫りにしたこと(その2)
2020.05.07
今回のコロナウィルス禍で、真っ先に頭に浮かんだのは、次の言葉です。
「賢者は歴史から学ぶが、愚者は経験から学ぶ」
致死性の毒を持つウィルスや病原菌の蔓延は、今回が初めてではありません。
かつて、欧州を中心に5000万人とも1億人とも言われる犠牲者を出し、「黒死病」と呼ばれたペスト菌などのことを、我々は知っています。
近代になっても、有名なスペイン風邪や近年のマーズやサーズといったウィルス禍で多くの人が命を落としました。
たしかに人類は、その後、衛生面や防疫面を目覚ましく発達させ、災禍を抑えこんできました。
しかし、その記憶も薄れ、直接経験者が代替わりで消えていくに従い、社会の警戒感はどんどん消えていきます。
そこへ、今回のコロナウィルスです。
世界中がパニック状態に陥っていることから、冒頭の言葉が浮かんだ次第です。
大衆は、歴史から学ぶことはせず、経験からしか学びません。
しかし、その経験が受け継がれるのは2世代までです。
それ以降の年代になると、歴史としては残っても、そこから学ぶ姿勢は失われます。
我々団塊の世代の人間は、分かるはずです。
団塊の世代の親の青年時代は、太平洋戦争の真っ只中であり、身を持ってその災禍を経験した年代です。
原爆や空襲、はたまた戦死といった形で、多くの人は大切な人を失った経験を持っています。
しかし、その経験を受け継げたのは、子世代である団塊の世代までです。
自分の経験に照らして考えても、そうです。
実際に戦場で米軍と戦った父から聞く話は、非常なリアル感を持って記憶に刻まれました。
乗っていた汽車が米機から機銃掃射を受け、血だるまとなって倒れた隣人を抱えたという母の話も、その臨場感ゆえ、深く私の心に刺さりました。
しかし、同じ話を自分の子供に話しても、「うるさいな、そんな昔の話・・」という顔をされるだけです。
そうです。又聞きの話はリアル感がないのです。
かくして、経験からの話は霧散して消えていくのです。
広島や長崎で、原爆被災者の方が語り部として語る言葉には胸が打たれた記憶があります。
しかし、その方々の大半はもう他界されたか、存命でも高齢でもう語ることができません。
被爆二世の方々がその語り部を引き継いでいますが、酷な言い方ですが、一世の方と同じようには言葉が響いてきません。
このように、残念ながら、記憶は、たちまちのうちに薄れていくものです。
しかし、その忘却能力があるから人は生きていけるのだともいえます。
その反面、どうしても、人は「愚者」となり、同じ過ちを何度も繰り返してしまうのです。
ゆえに、“感情を入れない”歴史として、過去の事実を学ぶ必要があるのです。
賢者となるためにです。
なぜ感情を入れてはいけないかは、おわかりと思います。
感情は、その人が立つ位置によって、180度変わるものだからです。
日韓の不毛な歴史対立を考えれば分かると思います。
歴史には善も悪もなく、裏付けの資料や遺跡・遺構が示す事実だけがあるのです。
それを踏まえて歴史を学ぶことで賢者となれるのです。
「日本は悪」と教える感情教育では賢者にはなれません。
韓国はもちろん、日本も、そのことを深く考えて欲しいものです。