抑止力という名の軍事力(24)

2022.05.02

前号の冒頭で、こう書きました。
『武力の「武」は、「戈(ほこ=いくさ)」を止めるという意味から生まれた漢字です。
つまり、抑止力こそが武力というわけです』
 
また、孫子は以下のように説いています。
「守備こそ攻撃なり」
しかし、この言葉は、だから「攻めてはいけない」という意味ではありません。
反撃へ転ずることのできる守備とはいかなるものかを教えている言葉です。
 
日本は「専守防衛」を頑なに守り続けていますが、孫子の言葉を理解しているとは言い難いです。
中国や北朝鮮、ロシアから執拗な威嚇を受け続け、領海や領空の侵犯を繰り返されています。
それだけでも「攻撃を受けている」と認識すべきなのに、平和を願い「何ごとも穏便に・・」という外交を続けてきたわけです。
 
ロシアによる軍事侵攻や民間人殺害はウクライナが初めてではありません。
アフガンやチェチェン、シリア、ジョージアなどで繰り返し行ってきたことです。
国際社会は、そこを軽視して・・というより目をつぶってきたのです。
欧州はロシアの資源欲しさから、そして、日本は北方領土返還への淡い期待からでした。
プーチンは、そうした成功体験から、今回も「軽く成功」と踏んだのでしょう。
その思惑が外れた現在は、どんな心境にあるのでしょうか。
 
こうした事態から、孫子が説く守備を考えてみました。
守備の戦略構築は、地理的な洞察から「どこで守るか」を決め、彼我の戦力差から「どう戦うか」を決める作業です。
さらに、前線維持のための兵站や後方支援体制、信頼できる同盟の強化などをどのように関係付け維持していくかの補強戦略も教えています。
 
さらに、もうひとつ大事な戦略があります。
前述した「守備から攻撃に転ずる反転攻勢」の戦略です。
この反転戦略を遂行するための有効な軍事力を持たないと、攻撃の意図を持つ相手に攻撃を躊躇させることができません。
ウクライナは、それをNATO加盟に求めたのですが、実現できないままロシアの攻撃を受けたわけです。
しかし、物理的な軍事力が大きく劣勢でも、国民の徹底抗戦の意識が高く、またゼレンスキー大統領の発信力の高さが、脅威の反撃力の強さに結びついています。
 
果たして、今の日本に、こうしたことを期待できるでしょうか。
平和ボケ、米国頼みと言われ続けながら、平和憲法の下では防衛議論すら行ってはいけないという空気に支配されてきました。
ロシアによるウクライナ侵攻を目の当たりにして、果たしてこうした意識は崩れるのでしょうか。
本コラムは今回を最終回として、次回からは視点を変えた新たなコラムをお送りする予定です。