純粋な軍事の話(6)

2019.05.06

日本では軍事の話は敬遠されがちです。
確かに世界が善意で満ちているならば、軍事は不要かもしれません。
しかし残念ながら、歴史上、善意が世界を覆っていた時代はありません。
人間の歴史は戦争の歴史であり、軍事力の弱い国は悲惨な歴史をたどってきました。
今回は「純粋な軍事の話」から少しそれますが、お読みください。
 
中国は、歴史上、常に軍事大国であり、朝鮮半島は従うしかありませんでした。
現代になっても、南北朝鮮の両国は中国の顔色を伺い、強い態度を打ち出せません。
そのやるせなさが、日本に対する強い態度になって出るのです。
半島の人々にとって、そのくらい中国は強大であり、恐怖の存在なのです。
 
だから、日清戦争で日本が中国を破った時、当時の半島の人々は大喜びしたのです。
今もソウルに建つ「独立門」がそのことを象徴しています。
しかし、朝鮮国はまとまらず内部抗争を繰り返したあげく、日本に併合されました。
軍事力で劣っても外交力で生き抜く手段はあったはずですが、朝鮮国の目は外に向かずに内側にしか向かず自滅したのです。
 
私には軍事経験はありませんが、若い頃の仕事で、最前線にいる自衛隊の人たちと語り合う機会がありました。
また、自衛隊の演習にオブザーバーとして参加したこともあります。
擬似的とはいえ実戦さながらの体感は、今でもリアルに思い出すことができるくらい衝撃でした。
その衝撃は、当時の20代の私では到底消化し切れませんでした。
ただ、学生時代は信じた「日本の平和」を信じることができなくなったのは確かでした。
 
私が直接体験した自衛隊の姿は、紛れもなく軍隊でした。
つまり、憲法違反の存在なのです。
でも、その自衛隊の存在が日本を守っていることも同時に実感しました。
そして、その任務に全力を傾けている隊員たちは、自分と同じ年代の若者たちでした。
こうした矛盾を真剣に考えることもせずに、日本国民は平和を貪ってきたわけです。
そして、その矛盾の根源が現行憲法にあることは、当時の自分でも分かりました。
 
それから長い時間が経ちましたが、国会はこの矛盾を放置したままにしてきました。
このままで良いわけはありません。
国会で、この矛盾を解決するための憲法改正論議を行うべきです。
こう言うと、すぐに「憲法改正反対」と攻撃されますが、そのようにして議論を封じようとすることが正しいとは、とても思えません。
 
しかし、改正ありきで強行突破しようと考えている安倍首相の対応も問題です。
「自分の代で憲法改正を」という名誉欲は捨て、国民の間に憲法と防衛を考える機運を盛り上げることが首相としての役割です。
私は、首相に以下のことを提案したいです。
 
「憲法改正の議論を国会で行うことの是非」を今年の参院選の争点に据えて欲しい。
“改正ありき”ではなく“改正の議論を行うことの是非”です。
野党が「改正の議論を行うこともダメ」と、国会での議論まで拒否することは、民主主義の否定につながります。
そのことをよく考えるべきです。
 
共産党の志位和夫委員長は、令和の新元号制定を天皇制にからめて批判しました。
共産党は、天皇制に反対の立場です。
しかし、現行憲法は、象徴とはいえ天皇を元首に定めています。
ならば、憲法改正の議論に積極的に加わるべきであり、護憲の主張は矛盾しています。
 
現行憲法が制定された当時に選挙権を持っていた国民は、ほぼゼロとなっています。
憲法改正議論を通じて、国民主権を取り戻したいものです。