抑止力という名の軍事力(5)
2020.10.01
「無敵の盾」を意味するイージスシステムは、その名前のとおり防衛兵器です。
そのイージスシステムを搭載するイージス艦が、太平洋戦争の時代にタイムスリップして、ミッドウェイ海戦の只中に出現するという「ジパング」という名のコミックがあります。
作者は、一連の軍事コミックで人気の“かわぐちえいじ”氏です。
私は、本メルマガで何度か言及していますが、20代の頃、軍事システムの開発に携わったことがあります。
また、父や親族の元軍人から戦場体験を聞かされたこともあって、大戦中の文献を読み漁りました。
そうした経験や知識からみても“かわぐちえいじ”氏の作品の描写はリアルで「すごいな」と感心しました。
同時に、登場人物たちの迷いや苦悩も克明に描き、バランス感のある作品になっていると思います。
「ジパング」の話に戻りますが、登場するイージス艦の防御兵器は、75年前の世界ではまさに無敵です。
戦艦大和の主砲砲弾すら撃ち落とす能力は、架空の話とはいえ、科学的に立証できる話です。
また、たった一発の巡航ミサイルで航空母艦を撃沈するシーンも出てきます。
そうなのです。
無敵の防御システムは、また無敵の攻撃兵器です。
武器を防御用、攻撃用と分けることはナンセンスです。
もとより、兵器に意思はありません。
それを使う人間の意思によって、防御兵器になったり攻撃兵器になったりするだけです。
「だから、兵器なんて無くせば良い」と、絶対平和主義の人々は言います。
そうですね。
たしかに一切の武器を捨てれば攻撃はできなくなります。
一方、他から攻撃されたら、座して死を待つだけになります。
「どちらが良いか」などは、無意味な論争です。
「抑止力としての軍事力」は、もちろん武器を捨てることではありません。
敵対国が攻撃をためらうだけの武器を持つことを意味します。
絶対平和主義者は、それは限りない軍拡競争になると批判します。
たしかにその通りですが、無限の軍拡競争は続けられません。
必ず、一定の線で均衡します。
しかし、これは“危うい均衡”で、核兵器競争がエスカレートした冷戦時代、「人類はダモクレスの剣の下にいる」と言われていました。
髪の毛1本で吊るされた鋭い剣が頭上にあるという古代ギリシャの話から取った警告ですね。
さすがに恐怖を感じた米ソ両国は、条約を結び、核兵器の数を互いに減らしました。
しかし、世界を破滅させるのに十分な量までしか削減はできませんでした。
その後、核兵器保有国が増え、条約に入っていない中国が核大国に成長するに伴い、この条約は無意味となってしまいました。
抑止力としての核兵器の魅力は大きく、韓国民には北朝鮮を羨む機運がかなりあります。
日本でも、公然と核兵器保有を唱える人たちがいます。
また、日本政府が核兵器禁止条約を批准しないことを非難する声もかなりあります。
政府は、米国の核兵器を抑止力として使っている日本は批准できないという見解です。
双方の見解が離れすぎて議論ができない状態になっています。
議論ができないこと、それが一番の問題だと思います。