戦争と平和(その13):戦略的辺疆論
2015.11.14
南シナ海での米中の一触即発状態はしばらく続くと思われます。
しかし、偶発的な衝突が起きる可能性はありますが、軍事衝突まではいかないでしょう。
両国ともそれは望んでいないからです。
しかし、偶発的な衝突が起きる可能性はありますが、軍事衝突まではいかないでしょう。
両国ともそれは望んでいないからです。
そもそもの発端は中国による一方的な岩礁の埋め立てですが、これには中国の独特の考え方が根底にあります。
まず、それを分析することから始めたいと思います。
中国には「国境は国力に応じて変化するもの」という考え方があります。
これが、最近マスコミ報道にも載るようになった「戦略辺疆(へんきょう)」という考え方です。
この思想が初めて登場したのは、1987年の「解放軍報(中国の中央軍事委員会の機関紙)」に掲載された論文です。
この論文によれば、中国の安全と発展を保証するためには「国家と民族の生存空間」を確保することが必要とされ、そのために「海洋」「深海」「宇宙」という三次元において「国境」を立体的に拡大するとされています。
これが、最近マスコミ報道にも載るようになった「戦略辺疆(へんきょう)」という考え方です。
この思想が初めて登場したのは、1987年の「解放軍報(中国の中央軍事委員会の機関紙)」に掲載された論文です。
この論文によれば、中国の安全と発展を保証するためには「国家と民族の生存空間」を確保することが必要とされ、そのために「海洋」「深海」「宇宙」という三次元において「国境」を立体的に拡大するとされています。
この論文が発表された翌年の1988年に中国は南沙諸島への進出を開始しました。
ベトナム軍との銃撃戦の末、6つの岩礁を占拠したことは、我々もよく知るところです。
しかし、当時の日本は、その背景にあった「戦略辺疆」の論文のことはまったく知らなかったのです。
この論文のことに触れたマスコミも皆無でした。
この程度の情報網および分析力もないマスコミには本当に失望させられます。
中国は、さらに1995年にフィリピンのミスチーフ礁、2012年にはスカボロー礁にも進出しています。
着実に、海洋における「国境」を拡大してきているのです。
そして、中国にはもう一つの重要な考え方があります。
それは「海洋国土」という思想で、簡単にいえば、領海のみならず 排他的経済水域(EEZ)も“国土”なりとの考え方です。
さらに、EEZのみならず、中国大陸から自然延長的に広がっている大陸棚も中国の“国土”と主張しています。
これが「海洋国土」という考え方ですが、2010年の『解放軍報』の中で紹介されています。
中国では、海洋国土は「国家管理領域」と称していますが、それが岩礁でも、国家が管理する中国の“国土”の一部としています。
また、沖縄は中国大陸から自然延長的に広がっている大陸棚に乗っているので、中国の国土だと解釈しています。
「辺疆」という言葉は辺境を意味しています。
かつて、歴史上の中国王朝は、みな北方からの異民族の侵入に悩まされてきました。
我々も歴史の時間に習った「匈奴」もその北方民族のひとつです。
その侵入を防ごうと、あの長大な万里の長城まで建造したのですから、その切実さが分かります。
しかし、長城を持ってしても侵入を防ぐことは出来ず、結局、強大な軍事力によって「辺疆」そのものを国土に組み入れるという考え方に行き着いたのです。
かつて、歴史上の中国王朝は、みな北方からの異民族の侵入に悩まされてきました。
我々も歴史の時間に習った「匈奴」もその北方民族のひとつです。
その侵入を防ごうと、あの長大な万里の長城まで建造したのですから、その切実さが分かります。
しかし、長城を持ってしても侵入を防ぐことは出来ず、結局、強大な軍事力によって「辺疆」そのものを国土に組み入れるという考え方に行き着いたのです。
また、「辺疆」の考え方には、国家としての総合力(政治力・経済力・軍事力)が強ければ、どこまでも拡大できるという解釈が付いています。
現代においても、中国のパワーが強大になれば、周辺諸国を中国の傘下に組み入れても良いと考えています。
この考えで、内モンゴル、チベット、ウイグルへと地域支配を拡大していったのです。
第二次大戦の終了時に比べて、現在の中国の国土は35%も拡大しています。
これは、近代では帝国主義と呼ぶべき侵略国家の姿なのですが、中国の考え方では、すべて自国防衛のための必要処置となっているのです。
さて、日本は、こんな中国とどう対峙していけばよいのでしょうか。
次号では、そのあたりを解説します。