若い人の変化(その2)

2024.04.16


ドイツ系ユダヤ人で、強制収容所から脱出し米国に亡命し政治哲学者となったハンナ・アーレントという女性をご存じでしょうか。
彼女の名前が世界中に知れ渡ったのは、1960年代初頭に逃亡先のアルゼンチンで逮捕されたナチスの戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判においてです。
アイヒマンは、数百万人のユダヤ人を強制収容所へ送った張本人と言われていますが、ドイツ崩壊時に南米に逃亡し、行方知らずとなっていました。
それをイスラエルの情報機関モサドが執拗に追いかけ、ついにアルゼンチンで彼の身柄を確保し、イスラエルへ護送し、裁判に掛けたのです。
 
ハンナ・アーレントは、この裁判に立ち合い、ザ・ニューヨーカー誌にレポートを発表したのですが、その内容が衝撃的で、米国では大論争となりました。
イスラエルでは激しい非難を浴びたことからも分かるように、彼女のレポートは衝撃的でした。
世論は「アイヒマンは死刑になって当然」との論調で埋まっていましたが、彼女はそれに同調せず、アイヒマンの存在は「悪の凡庸さ」の証明であると主張したのです。
当時、中学生だった私は興味を持ち、なんとかこのレポートを読みましたが、難解すぎて理解不能でした。
 
それが、2013年に映画化されたことで、彼女の著作を読む機会を得ました。
その中に書かれていた「全体主義は孤独になった大衆の支持によって維持される」に、彼女の考えが理解できた思いがしました。
この言葉の前に「孤独は個人だけでなく大衆に浸透し、実際に民主主義を脅かすことになる」とも書かれていました。
それがアイヒマン裁判のレポートで論争を呼び起こした「悪の凡庸さ」の意味だったわけです。
私は50年を経て、ようやくこの理解に達したのです。
 
彼女の一連の言葉は、現代のロシアや中国などの独裁国の現状を的確に表現し、独裁国の国民がなぜ独裁者を支持するのかという疑問への答えになっています。
独裁者が集会を禁止、言論を弾圧するのは、大衆を孤独化し、意見交換を阻むことだということが良くわかります。
と、ここで、あることを考えました。
若者が老人のように「頑なになりにくいこと」、そして、その傾向は女性のほうが強いということにです。
「人は考えることで強くなる」という言葉がありますが、女性のほうにより強くあてはまるような気がします。
男性は、腕力がある分、その力に頼る傾向がありますが、女性は腕力で劣るがゆえに「考えること」で対抗しようとするからではないかと考えます。
私は長男ですが、下に弟ひとりと妹が二人いました。
私は弟とは殴り合いの喧嘩をしましたが、妹たちとは口げんかもしませんでした。
しかし、弟は下の妹としょっちゅう喧嘩していて、時に暴力も振るっていました。
その時の妹の常套文句は「暴力は“いけないんだ”からね」でした。
そして上の妹との連帯で対抗する手段に訴えました。
 
この違いが男と女なのかなと、今は考えます。
近年、MeToo運動なる「男の暴力」を糾弾する連帯の動きが女性の間に起き、またたくまに世界中に広がっていき、加害者の男が糾弾される場面が増えてきました。
しかし、それに対抗するかのような男の連帯は生まれず、反発があっても個人止まりです。
こうした傾向を見るにつけ、若者でも女性と男性とでは大きく違うのだと感じます。
この傾向は、突然にではなく30年ぐらい前から顕在化してきたように思います。
そして、そのことを予感させたのが、60年前のハンナ・アーレントの言葉だったと思うのです。
ならば、今の動きが主流になるのは30年後(2050年代)かというと、そうではなく、はるかに速い速度で進行するでしょう。
それはネット社会になり、情報の拡散速度が天文学的に早くなっているからです。
 
その中で、今の若者は、以前よりはるかに早く老人化していくでしょう。
ただし、老いるのは、外見の見た目より脳内のほうが顕著です。
現代の若者には、漢詩の一説「一寸の光陰軽んずべからず」を送ります。
そして、この前の句を調べてみてください。
 
次回は、そのことを述べましょう。