若い人の変化(その5)

2024.07.17


前号の続きですが「若い男性に元気がなくなっている」ことに反比例して「元気な女性が増えている」という声がありますが、たしかに実感します。
こうした流れは、近代化が進めば当然の傾向です。
「男は外で金銭を稼ぎ、家事労働は女が担う」という固定化した価値観念が長い間、日本を支配していました。
こうした固定観念は、男女の体力差から当然のごとく生まれたものでした。
そして、それが男の優位性の心理的な基盤となっていました。
 
私は若い頃から車が大好きで、20歳前から自分の車を持っていました。
それもGTというスポーツタイプの車で、ハンドル操作が非常に重く女性には運転が難しい車でした。
今では滑稽な話ですが、その頃の私はそれを男の優位性の証だと潜在意識で感じていました。
そうした滑稽な優位意識は30代まで続いていたように思います。
その意識が覆ったのは一瞬でした。
とある大きな現場を担当したとき、大量の発生土を運び出すため、多くのダンプカーが現場を出入りしました。
その運転手の中に一人の細身の女性がいました。
休み時間に、その女性に「女性の身で大きなダンプを運転するのは大変でしょう」と声を掛けたところ、その女性は笑いながら「ハンドルを回してみますか」と、私を運転席に誘導した。
私はハンドルを回したが、重くてほとんど回せない。
ところが、エンジンを掛けたところ、驚くほど軽くハンドルを動かせる。
パワーハンドルが、ダンプカーにまで採用されていたのです。
こうした装備が男女の筋力の差をなくし、男の優位性を奪ってきていることを実感しました。
 
今は、ITによる自動化が進み、もはや男女の筋力差は意味がなくなっています。
男のひとりとして”寂しさ“を感じることがありますが、未来への可能性が広がることの実感のほうが大きいです。
こうして男女が同格の存在として能力を発揮することで未来は明るくなります。
そのためにも、国家のリーダーや企業トップに多くの女性が就任する時代が早く来て欲しいと思っています。
 
私は、スポーツや仕事において、リーダーを任された時には全体のことを考え精一杯頑張ってきたと自負しています。
しかし、「やろうとしたことの半分も出来ず、失敗ばかり」という思いのほうが強いと感じています。
これは、決して自虐ではなく、実感であり反省でもあります。
未来の時間が少なくなった私には、使った時間を取り戻すことはできません。
一方、若い方にとっては“これからの時間”が、たっぷりあります。
気がかりなのは、その時間を「ただ無自覚に空費している」ようにしか見えない若者の割合が増えていることです。
しかし「だから、今どきの若い奴らは・・」と言うつもりはありません。
なぜなら、若者もやがて今の私の年齢になり、そこで“いやでも分かる”からです。
私自身は、過ぎ去った時間を悔いることはありません。
後ろより前を見てないと“危ない”ですから。
このシリーズは今回で終わります。