若い人の変化(その4)

2024.06.18


今年のイタリアで開かれたG7サミットでは2人の女性首脳が際立っていました。
一人は開催国イタリアのメローニ首相、もう一人はEUのフォンデアライエン委員長です。
他の首脳が全員男性だったこともあり、ことさら目立っていたように感じました。
お二人は、今は若者という年齢ではないが、その存在感は若い頃からの強い意志と行動力によって培われたもので、「かっこいいな」と思います。
 
世界を見渡すと、民主国家と独裁国家の顕著な違いは女性の存在感にあります。
欧州では、もはや女性首脳は珍しいことではありませんが、中国やロシア、イスラム教の各国などにおける存在感はほぼゼロ状態です。
米国は、8年前の大統領選でトランプ氏に敗れたヒラリークリントン氏が「まだガラスの天井がある」と敗戦の弁で述べましたが、その天井が敗れる日は、次の4年後に来る可能性があります。
「日本は?」ですか・・、秋の自民党総裁選で「もしかしたら・・」を期待しましょうか。
 
話を若者に戻しますが、若い女性のリベラル化の傾向が強まる一方、若い男性は保守化の傾向を示しているといわれます。
フィナンシャル・タイムズの記事にありましたが、こうした男女の違いが克明になった転換点は2015年のMeToo運動からだということです。
男女の体力差から、暴力的な場面においては、女性はどうしても被害者になる傾向が強くなります。
男性同士の暴力沙汰においても、女性的な男性は被害者となる確率が強くなってしまいます。
被害者という点においては同じ立場なのですが、その後の行動において、2015年から男女の違いが鮮明になってきたと、記事にはありました。
具体的には、被害を受けた若い男性は黙るか、せいぜい「ひどい目にあった」と親しい者に語るにとどまっていました。
しかし、女性はMeToo運動のように「連帯して語る」ようになってきたというのです。
かつては、「自分は“恥ずかしい”存在だ」という被害者の殻に閉じこもっていたのが、他の女性たちと積極的に連帯し、その後押しで被害を語るようになってきたということだと記事は書いています。
 
こうした時代の変化から考えると、2026年から先の世界のトレンドが見えてくるように思います。
孤独に陥りがちな男性より、結束する傾向の強い女性のほうにリーダーシップが移っていくという世界です。
もちろん、単純に女性優位の世界になるという意味ではありません。
女性的な感性を持ち合わせた男性も、この範疇に入るでしょう。
 
男性は、年齢が高くなるほど、MeToo運動のような女性の連帯感を苦々しく見ているように思われます。
これまで長く続いた男性優位の社会通念から抜け出ることは、年配者ほど難しいでしょう。
私も同様の年齢なので、その難しさ、やるせなさは分かります。
また、輝かしい過去を持つ男性ほど、そのノスタルジアに浸っていたいのだと思います。
しかし、そんなものを捨てたほうが楽になれるのです。
捨てられないのであれば、自分だけのゲームにすればよいのです。
私は、時折、過去の栄光(?)ある自分にタイムスリップする心理ゲームを楽しんでいます。
そこでは、決して一番になれなかった自分ではなく、栄光に輝く自分を楽しんでいます(笑)。