戦争を起こさせない二つの仕組み(4):核兵器
2016.12.02
0月27日、国連総会第1委員会(軍縮)は、核兵器禁止条約など核兵器の法的禁止措置について交渉する国連会議をニューヨークで来年開くとした決議を123カ国の賛成を得て採択した。
日本がこの決議に反対票を投じたことで、国内外に批判が起きている。
感情的に「被爆国の日本が・・」との批判が起きるのは当然だが、本メルマガでは冷静に考えてみたい。
これまで、「戦争を回避する戦略」として、国際政治学の以下の見解を解説してきた。
1.有効な同盟関係を結ぶ(戦争リスクの軽減効果40%)
2.相対的な軍事力を保持する(同、36%)
3.民主主義の程度を増す(同、33%)
4.経済的依存関係を強める(同、24%)
5.国際的組織への加入(同、24%)
(数値はいずれも標準偏差なので、合計100%を超える)
普通に考えると、核兵器は上記の「2.相対的な軍事力を保持する」に入ると思われ勝ちである。
たしかに軍事力には違いないが、核兵器は、今のところ「普通の兵器」ではない。
ある軍事評論家は、こう言っている。
「核兵器とは”報復兵器“である」
なるほど、「我が国を攻撃したら、報復に核兵器を御見舞するぞ」と言って相手の攻撃の意図を挫く兵器だというのである。
まさに、北朝鮮の主張がそうである。
つまり、「相打ち狙い」の兵器なのである。
若き日、実家の水商売を手伝っていたとき、地元のヤクザからビール瓶片手に脅されてことがある。
店を守るため逃げることができなかった私は、カウンター内の包丁を握って相打ちを狙った。
後になって、そのヤクザからこう言われた。
「相打ちを狙ってくるヤツが一番やっかいなんだ」
これが今の北朝鮮である。
(北朝鮮にとっては、米国が”ヤクザ”なんです)
このように、核兵器保有は上記の1~5のどの分類にも入らない戦争回避手段であり、
「防ぐことが出来ない兵器」であることが、核兵器を保有する意味となる。
断っておくが、筆者は核兵器保有論者ではなく、保有反対論者である。
上記の保有メリットは認めるが、外国の不信を招くデメリットのほうが大きいからである。
核兵器保有国は、核による報復能力の保有が自国安全の担保と信じて込んでいる。
しかし、防ぐことが出来るようになったら、この状況は劇的に変わってしまう。
「威力は大きいが、普通の兵器」となってしまい、戦略的価値は激減する。
ゆえに、北朝鮮のみならず中ロが「ミサイル防衛システム」の配備に強硬に反発するのは当然である。
米国と敵対する国々にとっては死活問題なのだから。
戦争の抑止について、もう一つ考えなくてはならないことがある。
それは、国際条約の無力さである。
第一次大戦の後、1928年に、当時の国際社会は「パリ不戦条約」を結んだ。
しかし、その後も戦争はなくならず、第二次世界大戦に至ってしまった。
戦争に対する罰則規定がない「不戦条約」など誰も守らないのである。
現に、中国は南シナ海に対する国際司法の裁定を「紙くず」と呼んで無視しているが、国際社会は中国に遵守させる手段がない。
今も昔も、戦争を防ぐのは「戦力バランス」なのである。
かつ、その戦力バランスは経済力に依存しているから、経済大国が世界を制圧してきたのである。
だが、核兵器が生まれ、拡散するに従い、その状況は劇的に変わってきた。
最初に核兵器を開発した米国は、そのことを甘く考えていた。
米国以外の国が核兵器を持てるのは“遠い未来”だとタカをくくっていた。
しかし、すぐにソ連が追随し、ついに北朝鮮のような貧しい国までもが持ってしまったのである。
以上述べてきたことから、大国の核の傘で守られていない国が、核兵器を持ちたがるのは当然といえる。
北朝鮮やイスラエルは、その典型である。
残念なことではあるが、国連で罰則のない禁止条約を作ったとしても効力はない。
それでも、2017年3月から、国連総会第1委員会(軍縮)で交渉が開始される。
禁止条約は、ある程度の心理的効果や、各国国民に訴える効果はあると思うので、交渉を行うこと自体は悪くない。
だが、世界から核兵器をなくすことは「夢のまた夢」であろう。
人間は、一度生み出した技術を、新たな技術が開発されない限り、決して手放さない。
歴史が証明していることである。
核兵器も、それを上回る兵器(反陽子爆弾のようなもの)が開発されればなくなるかもしれないが、
それを「解決」とは言えないであろう。
核兵器は「メビウスの輪」なのであろうか。