戦争と平和:(その3)

2015.03.17

クリミヤ併合に際し、ロシアのプーチン大統領は核兵器の使用も考えていたとの報道がなされた。
NATO(北大西洋条約機構)との全面戦争も辞さずということのようである。
ロシアは、独立国家であるウクライナの一地方で行った住民投票を盾にクリミヤを軍事力で併合したが、その正当性を主張するため、核使用すら考えていたのである。
国際的にこの理屈が通ってしまえば、大国は勝手し放題となる。

沖縄では、普天間基地の移転問題で、政府に対する反発が強まっている。
日本国からの独立を問う「住民投票を」という声も公然と上がっている。
ウクライナとクリミヤの例に照らしてみると、仮に住民投票で「独立」が勝った場合、中国が公然と沖縄を併合することも可能となってしまう。

こうした大国の侵略に対し、力の弱い国が採るべき政策は2つしかない。
ひとつは、侵略を狙う国が侵略を躊躇するだけの軍事力を持つことである。
西日本新聞の3/5付の第一面に、海上自衛隊の前佐世保地方総監吉田正紀氏のインタビュー記事が載った。
尖閣、沖縄などの日本西南地区の海上防衛の責任者だった方である。
前総監の意見を一言でまとめると「不戦不敗」ということである。
「戦わず、しかし、戦う場合は負けない」という意味である。
もっと言えば、相手が戦う意思を喪失させてしまうほどの防衛力を備えることである。
これは、物理的な軍事力だけを言っているのではなく、兵員の質と士気、国民の不退転の意思などを総称しての力である。

もうひとつの方法が、強国と軍事同盟を結び、集団的自衛権で防衛する道である。
ドイツは、NATO(北大西洋条約機構)の一員として、集団的自衛権で国家を防衛している。

日本は、日米安保条約と自前の軍事力で防衛しているが、NATOのような多国間防衛体制ではない。
米国頼みの防衛である。
しかも、憲法の制約があって集団的自衛権のことは曖昧に逃げてきた。
だから、常に、「米国はいざとなったら日本を助けないのでは・・」という疑念がつきまとう。

今回、安部首相は、集団的自衛権があることを明確にし、日米安保の強化を計った。
さらに憲法改正を果たし、自前の軍事力の強化を前面に打ち出そうとしている。

これに対し、非軍事平和主義を唱える勢力は、平和主義で独立を保てると主張する。
だが、侵略するか否かを決めるのは日本ではない。敵対国なのである。
繰り返し日本の領海・領空を侵犯し、現役軍人が露骨に戦争を仕掛ける言動を繰り返す国家が相手なのである。
日本は、彼らの論理に従って判断するしかないのである。